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セクハラは被害者の主観によって決まる

セクハラは主観で決まる

客観的に見て、ご質問者様はセクハラに遭っております。

しかし、セクハラは究極的に言えば主観の問題でしかありません。本人がセクハラだと思えば「おはよう」という挨拶もセクハラですし、本人に不満がないのであれば「お、昨日と同じ服だねぇ。ってことは結構お盛んだね」という典型的なセクハラ発言もセクハラではないのです。

つまりご質問者様は「セクハラに遭っていない」のではなく「セクハラをされても特に気にならないタイプだった」と言えるでしょう。

 

さて、私やご質問者様は幸か不幸か性的な言動をされてもあまり不快感を感じないタイプの人間で御座いました。ですので一般的にセクハラに分類されるような行為をされても、特に不快感を感じません。

しかし世の中には性的な発言や行動に強く傷ついてしまう方もおり、そういう方にとっては「おはよう」という挨拶すらセクハラになることがあるのです。

これはどちらが正しいとか間違っているという問題では御座いません。41度のお風呂を熱いと感じるかぬるいと感じるかというような問題と同じで、どちらが合っている間違っているの問題ではないのです。

ですのでいくら私たちがセクハラに対して強いからと言っても、抵抗のない方の被害を矮小化すべきではないでしょう。

ご質問者様は男友達から「ねぇあの子エロいよね。そう思わない?」と言われても特に性的に傷つくことはないようですが、ご質問者様の友人が「ねぇあの子エロいよね。そう思わない?」と言われて傷ついている時に「そんなことはセクハラではない」と言うべきではないのです。

そしてこれは逆もまた言えることでしょう。

例えば男性上司から挨拶されることすらセクハラだと感じてしまっている方がいた場合、その方にとっては「挨拶」もまたセクハラなのは間違いありません。ですのでその方に対して「そんなことはセクハラではない」と言うべきではないでしょう。

しかしそれと同じように普通に上司と挨拶をしているご質問者様に対して、その方が「それはセクハラだ」と言うのもまた相手の価値観を尊重しない行為に他なりません。

本人がセクハラだと感じたらそれはセクハラで御座いますし、本人がセクハラだと感じないのであればセクハラではないのです。

「本人がセクハラだと感じたらそれはセクハラ」という考えばかりが尊重されておりますが、それを尊重するのであれば「本人がセクハラだと感じないのであればセクハラではない」という考えもまた尊重しなくてはなりません。

確かに一般的な価値観からすればご質問者様はセクハラに遭っていると言えますが、もしもご質問者様がそれらの行為に特に悩んでいないのであれば、それをセクハラだと騒ぎ立てるべきではないでしょう。

なぜなら不快に感じていない行為を不快認定しても、ご質問者様にとっては不幸なことしか起こらないから。

例えばご質問者様に「ねぇあの子エロいよね。そう思わない?」という発言はセクハラだから拒絶した方が良いよと言い、ご質問者様がそのように行動をしたとします。

するとご質問者様はこれまで不快ではなかったことまで不快に感じるようになってしまい、ご質問者様の人生に「不快な要素」が増えてしまうことでしょう。

それはご質問者様にとって何の得も御座いません。

もちろんご質問者様が「ねぇあの子エロいよね。そう思わない?」という発言を不快に感じているのであればそのアドバイスにも意味はあるでしょうが、特に不快に感じていないのであればそれを「不快」と認定する意味は全くないのです。

 

ですのでご質問者様に対して「あなたは社会に汚染されていて、セクハラをセクハラと感じられない可哀想な女性だ」などと言う人間がいてもその言葉を気にする必要は御座いません。

その言葉を真に受けても「世の中に不快なことが増える」という負の感情しかご質問者様は得られないのです。

もちろん自分が平気だからと言って、その行為に傷つく人にその行為をすることは問題で御座いますが、ご質問者様が不快ではないと感じていることに対して「それは不快だから傷つかなければならない」という謎の理屈に流される必要は御座いません。

もしもご質問者様が「ねぇあの子エロいよね。そう思わない?」と言われても特に気にならないのであれば、それはそのままで全く問題がないのです。

司法は全く別問題

例え挨拶であっても、相手が不快に思うのであればそれはセクハラである。

私はこの考えを尊重します。ですのでもしも部下から「挨拶はセクハラなのでやめて下さい」と言われたら、その部下には挨拶をしないことでしょう。

ですがそれはあくまでもミクロの話であり、マクロの話では御座いません。

おそらく司法の世界では挨拶をした程度で立件することは不可能でしょう。そんなことで立件していたら、この国には犯罪者しかいなくなってしまいます。

セクハラの基準は様々であり、人それぞれによって異なります。挨拶をセクハラだと思う人がいれば、「最近お盛んだね」と言われてもセクハラだと感じない人もいる。人それぞれセクハラの基準は様々なのです。

そしてその基準は司法にもまた存在するのです。

琥珀法律事務所によると、司法におけるセクハラの基準は

1)本人が嫌がっているか

2)一般的な男性、一般的な女性がそれを不快に感じるか

3)業務に不必要なものであるか

という3点が基準になっているそうです。

例えば「挨拶」であれば少なくとも2)の基準は満たしていないことでしょう。また3)の基準も満たしているとはあまり思えません。

ですので挨拶をセクハラだと感じる方がいたとしても、それが司法に認められることはないでしょう。

つまり挨拶がセクハラだと感じる方がいたとしたら、その方にとってはセクハラであるのは間違いないものの、一般的にはセクハラではないので公的に対処はされないということになるのです。

とは言え、それをセクハラだと感じている方にわざわざ挨拶をしてもお互いにとって得することはないので、挨拶をしないようにした方が良いのは間違いありません。



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