男性語で生きる男たち
私たちは日本語を使って会話をしていますが、それぞれの使っている言語は微妙に異なります。
例えば京都で「ぶぶ漬けでもいかがですか?」と言ったら「帰れ」という意味で御座いますが、関東で「お茶漬け食べる?」と言ったら「帰れ」という意味ではなく「お茶漬け食べる?」というそのままの意味にしかなりません。
このように同じ日本語を使っているようで、私たちが使っている言語は微妙に意味が異なるのです。
特に男性と女性という区切りで考えると、同じ言語を使っていてもかなり意味の違うものであると言えるでしょう。
男性社会で使われている男性語と女性社会で使われている女性語というものが存在するのです。
この2つの言語はどちらも日本語のように見えますが、決して同じ言語では御座いません。
例えばここに重そうな荷物を持っている女性がいたとします。
この女性を見たときに、男女でどのように感じるのかということを考えてみましょう。
まず何も察しない男性は、何も気がつきません。
重そうな荷物を持っている女性を見かけても、意識的には何とも思わないのです。
次に一般的な女性と察して行動する男は、女性が「困っている」ということを察して手助けをするでしょう。
そして最後に察して行動しない男性なのですが、このタイプの男性はその女性を見て「重そう」と感じますし「助けた方がいいのかな?」とも思うのですが、その上で行動を致しません。
察しない男 | 何も感じない |
察して行動する男 | 重そうと思って助ける |
察して行動しない男 | 重そうと思って助けない |
女性 | 重そうと思って助ける |
「重そうと気が付いているにも関わらず助けないなんて不誠実だ!」と感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、この男性は不誠実な人間という訳では無いのです。
むしろこの男性は誠実だからこそ、その女性を手助けしないと言えるでしょう。
その理由は男性と女性の考え方の違いが御座います。
女性社会においては「察する」ということが良しとされる傾向があると言えるでしょう。
もちろんあくまでも傾向の話ですので全てがそうだとは言いませんが、傾向としてはそのような傾向があるのです。
一方で男性社会においては「助けて」と言っていない人間は助けないという傾向があるでしょう。
どれほど相手が困っていることを察していても、相手が「助けて」と口にしない限りは助けないという文化があるのです。
「お節介な人」という言葉を聞くと女性をイメージする方が多いと思うのですが、これもこのことが関係しているでしょう。
女性はこちらが頼まなくても人を助ける傾向が御座いますが、男性は頼まれなければ助けないのです。
つまり「重そうにする」というボディランゲージは、女性語では「助けて」という意味になりますが、男性語では「助けるな」という意味になると言えるでしょう。
とは言え、これは何も男性が優しくないという意味では御座いません。
もちろんそういった側面が全く無いとは言いませんが、決してそれだけが理由では無いのです。
男性が頼まれないと助けない理由
それでは男性は一体なぜ察しても頼まれないと助けないのでしょうか?
その理由は大きく3つ御座います。
まず1つ目が共感力の低さ。
テレビで痛々しい事故の映像が流れていたときに、自分も痛みを感じてしまうような方は共感力が高い方なのですが、一般的に男性の方が共感力が低いと言われています。
共感力が高い方は相手の苦痛を自分のことのように捉えてしまう傾向があるので、困っている人を見ると助けずにいられません。
何故ならば苦しんでいる相手を見ることで自分も嫌な気持ちになってしまうので、それを解消するために助けてしまうのです。
一方で共感力の低い方は苦しんでいる人を見ても、そこまで不快な気持ちにはなりません。
ですので苦しんでいる人を助けなくても、自分は嫌な気持ちにならないのです。
次に2つ目の理由ですが、男性社会は女性社会よりも貸し借りの文化が強いからでしょう。
男性社会において、人から助けられるということは明確な「借り」になります。
男性社会においては誰かに助けられた場合「ありがとう」というお礼を言うだけでは済みません。借りたからには何かしらの形で借りを返さなくてはならないのです。
つまり大して困っていないときに、相手から助けられることは男性に取って迷惑な側面もあると言わざるを得ません。
例えば皆様がお店でご飯を食べているときに、店員さんが勝手にワインを持ってきて、お金を請求したらどうでしょうか?
仮にワインを飲みたいと思っていたとしても、こんなことをされたら不快に思うことでしょう。
男性にとって「頼んでもないのに助けられる」というのはこれと同じことなのです。
誰かに助けられたら「ありがとう」では済まない社会で生きている以上、頼んでもいないのに助けてくる人は押し売りと変わりません。
たとえ相手にその気がなくても、返さないといけないというストレスを男性は強く感じてしまうので断る傾向があるのです。
もちろんこれは極端な表現ですが、傾向として男性社会にはこのような特徴が御座います。
男性にとって「人を助ける」という行為は、お客様からの注文と同じ。
どれほどお客様がワインを飲みたそうに見えても、料金が発生する商品をお客様から注文がない限り決してワインを持っていきません。
最後に3つ目の理由ですが、男性は人から助けられることをあまり好まないという理由で御座います。
これは2つ目の理由にも近いのですが、男性は女性と比較して人から助けられることを好みません。
もちろんそうではない男性も女性もおりますが、傾向的に男性は人を頼ることを好まないのです。
ですのでどれほど問題を抱えていても「この問題は俺が解決する!俺の邪魔をするな!」的な考えを持つことが多いでしょう。
その考えは男性社会で共有されておりますので、男性は勝手に人を助けることを失礼と捉えている傾向があるのです。
どっちが良い悪いの問題ではない
このように世の中には「察しているのに助けない男性」というのが一定数存在いたします。
そもそも察することが出来ない男性はどうしようもありませんが、彼らは決して「察する能力」が低いわけでは御座いません。
先ほどの3つの理由によって、彼らは察した上でそれでもなお手助けをしていないだけなのです。
それではこのような状況を解決するためには一体どうすれば良いのでしょうか?
「男は察する能力が低い!」と怒り出す方が稀にいらっしゃるのですが、失礼を承知で言えば、この状況は先ほどお話しした「オランダ人とブラジル人」の会話と何も変わりません。
あの会話をみて、どっちが悪いと言える方はいらっしゃらないことでしょう。
オランダ人にポルトガル語で話しかけるブラジル人も問題ですし、ブラジル人にオランダ語で話しかけるオランダ人も問題です。
どっちが悪いかと聞かれれば「どっちも悪い」としか言いようがありません。
それと同じことが今回の問題にも言えるでしょう。
男性は男性のルールで喋っていて、女性は女性のルールで喋っているだけ。
どっちが良いとか悪いとかそういう問題ではないのです。
それではこのような状況を解決するには一体どうすれば良いのでしょうか?
スワンと王
私のホテルの清掃員には、外国人が十数人おります。
その中でもベトナム人の親分格であるスワン君と中国人の親分格である王君は、その国の親分格になるだけのことはあり非常に優秀な人材で御座いました。
その中でも私が驚いたエピソードをご紹介させて頂きましょう。
別々の国の人間が一緒に働いていれば、何かとトラブルは絶えません。
そしてそんなトラブルが発生したときはスワン君と王君が話し合って解決をするのですが、その話し合いの場を見て私は心底驚きました。
ある日、中国人スタッフが従業員室を汚すことにベトナム人スタッフの不満が爆発しました。
そこで話し合いをしてもらったのですが、その話し合いをしている部屋からは中国語とベトナム語が聞こえてきたのです。
問題なのはその言葉を誰が発していたかということ。
ベトナム人のスワン君は、中国語で王君率いる中国人たちに文句を言っていました。
それを聞いて王君は、ベトナム語でスワン君が率いるベトナム人たちに反論を繰り広げていたのです。
彼らは日本語を喋ることが出来るので、私はてっきり日本語で話し合いをしているものだと思っていました。
しかしそうではなかったのです。
中国人の王君がベトナム語を話し、ベトナム人のスワン君が中国語を話していた。
ベトナム人のスタッフの中には日本語が達者ではないスタッフもいます。
ですので王君は彼らを説得するためにベトナム語を学習してベトナム語で彼らに話していました。
もちろん中国人のスタッフにも日本語が達者ではないスタッフはおります。
ですのでスワン君は彼らを説得するために中国語を学び、中国語で反論をしてました。
彼らが日本語を喋れることに甘えて、日本語で指示を出していた私と比べて、スワン君と王君がどれほど優れているか言うまでもありません。
確かに言語は、どちらかが相手の言語を学べばコミュニケーションは成立します。
最初のオランダ人とブラジル人の会話で言えば、オランダ人がポルトガル語を学ぶか、ブラジル人がオランダ語を学ぶかすれば、コミュニケーションは成立するのです。
しかし、それはフェアではありません。
王君がベトナム語を取得すれば、スワン君が中国語を学ばなくとも会話は成立したでしょう。
その逆もまた然り。
ですが彼らはそれを良しとしなかったのです。
一方だけが歩み寄るような関係ではなく、お互いがお互いに歩み寄ることで、彼らはコミュニケーションを成立させました。
私のホテルで人種間のトラブルが少なかったのは、間違いなくこの2人の偉大な男のおかげです。
事実、とある国のスタッフは自国の言葉でばかり文句を言い、トラブルが解決せず辞めていきました。
恋人関係や夫婦関係もこれと同じでしょう。
どちらかが相手の言語を覚えれば、コミュニケーションは成立します。しかしそれではフェアではなく、お互いに歩み寄っているとは言えません。
男性が女性社会の言葉を学び、女性が男性社会の言葉を学ぶ。
それこそが男女関係を良好にするために必要なことなのでしょう。
男性語を学ぶ
世の中には女性語に堪能な優秀な男が存在します。
そんな男と一緒にいるかぎり、女性は男性語を覚えなくてもコミュニケーションで困ることは御座いません。
なぜならば女性が女性語で喋っていても、男性がそれを理解して女性語で返事をしてくれるからです。
しかしそれに甘んじていたら、清掃員に日本語で指示を出していた私と同じでしょう。
スワン君と王君という傑物がいたからこそ何とかなっていましたが、彼らが日本語で話してくれることに甘んじて彼らの言語を学ばないでいたら、いつか関係は悪化してしまうのです。
ですので女性語に堪能な優秀な男性と長い関係を築きたいのであれば、彼らに甘えっぱなしではなく彼らの言語を学び、こちらも歩み寄らなくてはなりません。
もちろんこれは男性にも全く同じことが言えるでしょう。
女性が男性語を喋ってくるからといって、それに甘んじていたらいつかは関係が悪化してしまいます。
とは言え今回のご質問者様は女性で御座いますので、簡単な男性語講座を1つだけ紹介させて頂きましょう。
男性語と女性語で最も問題になるのは「察して」の文化で御座います。
男性語において「助けてと言わない」という行為は「助けるな」「問題がない」という意味になります。
ですので男性に手助けをして欲しい時は「助けて」「手伝って」と言わなくてはなりません。
彼らは困っていることを察していないのではなく、察した上で助けていないだけなのです。ですので男性語でお願いすれば、きちんと助けてくれることでしょう。
もちろん頼んでもなお助けてくれない男性もおりますが、そんな人間はコミュニケーション能力云々以前の問題なので、出来る限り早い段階で別れてしまうことをオススメさせて頂きます。