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人間関係を貧相にする「人を嫌いになりたい欲」の話

友達がいない人の特徴

嫌いな人がほとんどいなくなった私ですが、残念ながら未だに友達になれずに終わってしまう方はいらっしゃいます。

その中には先ほどのOよりも、話が合う方もいらっしゃいました。

しかし、そんな方達と友達になれず、Oとは友達になれたのは一体なぜでしょうか?

もちろん彼らが私と友達になりたいと思わなかったという可能性もあるでしょう。しかし確率的に考えて全員が全員そのパターンであるとは思えません。

それではOと友達になれて、Oより話が合う方と友達になれなかった理由は一体なんでしょうか?

その理由を考えると、最終的に理由は1つしか見つかりません。

そこにいたから

Oと友人になれたのは、私がよく行くバーにOがいたからでしょう。

一方で友人になれなかった方達は、様々な事情で頻繁に会うことが出来なかったから友達になれなかったのです。

よくよく考えてみると、小学生の頃の親友も、その人と親友になれた本質的な理由は「そこにいたから」でしょう。

私が小学生の頃にもっとも仲が良かった友人は、小1の時に席が後ろだったK君と、家が隣だったM君の2人です。

もちろん彼らと話が合ったという理由も多少はありますが、話が合うだけなら他にもいくらでも候補がいました。

ちなみにK君はともかく、M君に関して言えばそこまで話が合うという記憶もございません。

そんな中で彼らと仲良くなったのは、彼らが「そこにいたから」ということ以外に理由が見当たらないのです。

おそらくこれは人間のDNAの為せる技でしょう。

そもそもほんの50年ほど前まで、人間は付き合う相手を選ぶようなことが出来ませんでした。

村から出ることが出来ない人は村の人と付き合うしかありませんし、狩猟民族の頃を考えれば自分たち以外に人間がいることすら知らなかったかも知れません。

ですので、人間は大抵の人とそれなりに仲良く出来るDNAを持ち合わせているのでしょう。

話が合うとか合わないとか、

空気が読めるとか読めないとか、

人間的魅力があるとかないとか、

そう言ったことはそこまで重要ではなく、そこにいればそれなりに仲良くなれるのが人間の本質なのだと思います。

それでは「友達がいない人」とは一体どのような人なのか。

それは「そこにいない人」なのだと私は思います。

人を嫌いになりたい2つの心理

さて、それでは先ほどのご質問に戻りましょう。

先ほど「人を嫌いになりたいという欲望があった」というお話をさせて頂きましたが、人が「人を嫌いになりたい」という欲望を持つ理由は大きく2つ御座います。

1つ目の理由は責任転嫁。

差別やイジメなどがその最たる例でしょう。

自分や自分のグループに問題が発した時に、その原因を自分たちに求めると自己否定になってしまいます。

ですので「あいつのせいだ!」と言えるスケープゴートを外部に作り出し、責任を転嫁する。これが「人を嫌いになりたい欲」の原因です。

そして2つ目の原因が保険。

自分はAさんが好きだけど、Aさんは自分のことが嫌い。

そんな状況は人間関係において最も辛いものでしょう。

ですのでそういった不安を抱いてしまった方は、相手が自分のことを嫌いになる前に、先にこちらから嫌ってしまうのです。

そうすれば相手が自分のことを嫌いになったとしても「片思い」という最悪の状況になることはございません。

相手が自分のことを嫌いになっても「お互いに嫌い」という状況であり、最悪を回避することができるのです。

 

今回のご質問者様に私がお伝えしたいのは、この「保険」の方の話。

今のご質問者様は「このままでは私はみんなから嫌われるのではないか?」と不安に感じてはいらっしゃらないでしょうか?

ご質問文には「表情からして私と一緒にいると疲れると思われていると思います」とありましたが、この気持ちが進行してしまうとおそらく「私は嫌われているのではないか」という心理になってしまうことでしょう。

それではご質問者様が「私は嫌われているのではないか」と思ったら、一体どうなるでしょうか?

これこそがまさに「先に嫌いになる保険」

人を先に嫌いになることで最悪を避けようとする心理に陥ってしまうのです。

先ほど私は「学生の頃に嫌いな人がたくさんいた」とお伝えさせて頂きましたが、今にして思えば私はまさに「この先に嫌いになる保険」を掛けまくるタイプの人間でした。

「この人から嫌われるのではないか?」という不安から、いつも先に自分から距離を取っていたのです。

それは「この人は私のことが嫌いだから、一緒にいるのは申し訳ない」という消極的な嫌いで御座いますが、「好きになるのを拒む」という意味では「人を嫌いになりたい欲」の1つであると言えるでしょう。

自分から距離を取っているばっかりに友達が出来ていないだけなのに「俺は人から好かれない人間だ」なんていう頭の悪いことを考えていたのです。

 

自分のことを「嫌われ者」だと思っている方は、得てして嫌われ者にすらなれていません。

彼らは自分から相手との距離を取ってしまい「そこにいない人」になっているだけなのです。

空気が読めないだけでは嫌われない

もちろん空気は読めるに越したことはありませんし、コミュニケーション能力も高いに越したことはないでしょう。

しかしこの2つの能力はどちらも相対的なものなのです。

例えばご質問者様がゴリラの集団に入ったら、「ウホ」と「ウホホッ」しか言えないゴリラの5000倍くらいご質問者様の方が高いコミュ力を持っていると言えるでしょう。

能力は所詮相対的な話。どんな集団でも最下位は必ず存在するのです。

それでは最下位の人間が必ず嫌われているかと言えば、決してそんなことは御座いません。

そもそも最下位の人間を嫌って追放したら、それは最下位から2位の人が最下位になるだけの話。

たとえコミュ力がその集団の中で最下位であったとしても、それだけで人から嫌われたりはしないのです。

しかし、ご質問者様が「空気が読めないから嫌われる」と感じ、自分から距離を取ってしまったら。

その時はご質問者様は「そこにいない人」になり、本当に嫌われてしまうことでしょう。

ですので、自分で勝手に「嫌われている」「迷惑をかけている」と思い込み、好きな仲間から距離を取るようなことをしてはいけません。

人と距離を取るべきタイミングは、自分が相手のことを嫌いだと思った時だけ。

自分は相手のことが好きなのに、相手に迷惑をかけたくないなんていう理由で人から距離を取ってはいけません。

人の役に立つのって簡単

ご質問者様の周りの方はご質問者様に対して、様々な気遣いをしてくれるそうですが、一体なぜ彼らは気を使ってくれているのでしょうか?

もちろんその理由は1つでは御座いませんが、究極的に言ってしまえば「気を使ってあげたいから気を使っている」のです。

不器用で困っているご質問者様を見て「助けてあげたい」と感じた。

それは「ご質問者様の役に立ちたい」という感情かもしれませんし「放っておけない」という母性本能のような感情かもしれません。

しかし何れにしても、彼らが救ってあげたいと思ったから、救ってくれているということは間違い無いでしょう。

人間は誰かに何かをして貰うことに喜びを感じる生き物であると同時に、誰かに何かをしてあげることにも喜びを感じる生き物なのです。

つまり人間には「誰かの役に立ちたい欲」があり、ご質問者様はその欲を満たすことに大きく貢献していると言えるでしょう。

とは言え、人に気を使いすぎるご質問者様はこんなことを言われても、あまり人の役に立っているという実感を得ることが出来ないことと思います。

それならば、こう考えてみてくださいませ。

ご質問者様がいるおかげで、その集団のコミュ力最下位から2位の人は2位に甘んじていることが出来ている。

もしもご質問者様がいなければ、ご質問者様の次に空気が読めない人が「俺は一番空気が読めない」と悩んでいたことでしょう。

その方の悩みのタネをご質問者様は潰すことに役立っているのです。

コミュ力をあげるテクニック

最後に1つ、今のご質問者様にぴったりの「コミュニケーション能力上昇テクニック」をご紹介させて頂きましょう。

覚える言葉は1つだけ、それでいて絶大すぎる効果を発揮するテクニックで御座います。

「有難うございます」

おそらくご質問者様は誰かに気を使わせてしまった時に「すいません」と言っていることと思いますが、その「すいません」を「有難う」に変えるだけでございます。

「◯◯って言いたいんだよね?」と話をまとめてくれる人がいたら、「その通りです。有難う御座います」と。

ご質問者様のミスを救ってくれる人がいたら、「本当に有難う御座います。〇〇さんが救ってくれなかったらやばかったです!」と。

その一言がどれほど人の救いになり、どれほど人を幸せにするか。

エレベーターで「開ボタン」を押し続けてくれている人に「すいません」ではなく「有難う御座います」と言うというような小さなところからはじめてみてくださいませ。

バカみたいな話に聞こえるかも知れませんが、私に人間関係は間違いなくエレベーターの「有難う」から格段に向上したのです。



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