お悩み相談

話が通じない人の傾向と対策

【ご質問】

話が通じない人とどう接すれば良いのでしょうか?

【回答】

ご質問誠にありがとう御座います。

どれだけ説得しても話が通じない。

皆様、1度くらいはそんなそんな方とお会いしたことがあると思います。

今回はそんな「話が通じない人」が一体なぜ通じないのかということをまとめさせて頂きました。

1)条件設定ができない人

「Aさんにとっては、この方法が最適だ」が通じない

借金をするのは一般的に良いことではないでしょう。事業資金や住宅ローンであればまだしも、生活費を工面するために借金をするのは基本的にあまり良いこととは言えません。

しかし、お金がなくて明日の食事にも困るような方であれば借金をするのも仕方がありません。もしも借金をしなければ食べることも出来ずに餓死してしまうのです。

そのため明日の食事にも困っているAさんにとっては「借金をする」というのは正しいことと言えるでしょう。

ところが話が通じない人というのは、この「Aさんにとっては」という言葉が理解できないのです。「世間一般としては良くないかも知れないが、Aさんにとっては正しい」という話をしているのに「借金は良くないものです」という反論をしてくる。これでは話が噛み合うはずもありません。

対策方法

一般論でまとめる。もしくは諦める

2)0か100な人

「彼の罪は懲役10年が妥当だ」が通じない

犯罪は良く無いことで御座います。この点に関して異論は御座いません。

しかしだからと言って犯罪を犯した者は全員死刑というのはいくらなんでも過激すぎる考えでしょう。私だって赤信号を渡ったことくらいありますし、おそらく皆様も人生で1度くらいは犯罪行為をしたことがあると思います。

ところが0か100で考える方は「犯罪者は全員悪人だから死刑にすべきだ」というような考えを持ってしまいがち。犯罪者と一言で言っても罪の重さや動機は様々なのに「極悪人」という一括りで判断をしてしまうのです。

対策方法

0か100のうち、こちらにとって都合の良い方に寄せる。もしくは諦める

3)発言者と内容を分けられない人

「ナチスが作ったアウトバーンは今でもドイツの高速道路として役立っている」が通じない

ヒトラー率いるナチスドイツが歴史的に悪であることを否定するつもりは御座いません。しかし、ヒトラーやナチスは悪だったとしても、彼らが作ったアウトバーン(高速道路)が現代でもドイツの大動脈として役立っているのもまた間違い無いでしょう。

ところが発言者と内容を分別できない方は「ヒトラーやナチスは悪だから、彼らの行った行動は全て悪である」と判断してしまうのです。どれだけ「彼は悪なのには賛同するが、その全てが悪な訳ではない」と言ってもその理屈が通じることは御座いません。

とはいえ、現実的に厄介なのはむしろ逆のパターン。つまり「Aさんは良い人だから、彼の行動は全て善である」と考えてしまうタイプの方でしょう。

過激なファンや狂信者などがこれに該当します。どれほど彼らが悪事を働いても「彼は良い人だから」という理由だけで、その行動の全てを肯定してしまうので御座います。

対策方法

相手にとって「正しい人」になる。もしくは相手にとって「正しい人」が言っていた、という体裁を取る。もしくは諦める

4)敵か味方かで判断する人

「中立」が通じない

この問題は発言者と内容が区別できない人にもかなり近いと言えるでしょう。相手の意見を意見の内容ではなく「敵か味方か」で判断してしまいがちな方は少なくありません。

しかし「敵か味方で判断する人」というのは「発言者と内容が分けられない」という問題に加えて「中立」を認めない傾向があると言えます。

自分の意見に同意する人は味方、それ以外は全て敵という極めて雑な判断をしてしまっているのです。そのためこういった方は敵か味方かの二元論で考えて、味方以外の発言を全て「敵対行動」として否定してしまう傾向があると言えるでしょう。

対策方法

味方っぽく振る舞う。無理なら話し合いを諦める。もしくは諦める

4.1)反対意見は敵な人

「その意見には反対だ」が通じない

「敵か味方かで判断する人」から派生した「反対意見は敵な人」もまた話が通じない人と言えるでしょう。「反対意見が敵な人」は忠告やアドバイスが通じません。なにせ反対意見を言ってくる人間は全て敵なのですから、敵対行動として断罪してしまうので御座います。

対策方法

耳障りの良いことだけ言う。もしくは諦める

5)因果関係が理解できない人

「夏はアイスが売れる。しかしアイスが売れても夏にはならない」が通じない

因果関係は想像よりも非常に難しい概念でしょう。

例えば「夏になればアイスが売れる」という現象は「夏になる」が「原因」であり「アイスが売れる」が「結果」で御座います。ですので気温の変化とアイスの売れ行きには因果関係があると言えるでしょう。

しかし日本人が真冬に一斉にアイスを買ったとしても、季節が急に夏になったりは致しません。

このように因果関係は「因が起きたから果が発生する」というのは正しくとも「果が起きたら因が発生する」というのは必ずしも正しく無いのです。

夏とアイスの例であれば勘違いする方はあまり多くありませんが、これが複雑な社会問題や科学の話になると因果関係をごっちゃにしてしまう方が少なくありません。

対策方法

こちらも因果を混同する。もしくは諦める

5.1)統計が理解できない人

「犯罪者はパンを食べているが、パンは危険ではない」が通じない

信じられないことに、死刑囚の99%はパンを食べたことが御座います。

パンとはなんと危険な食べ物なのでしょう。こんな食品は今すぐ法律で禁止すべきで御座います。

と言ったら、頭がおかしいと思われることでしょう。皆様もご存知の通り、生まれてこの方パンを食べていない人間なんて、少なくとも成人した日本人にはほぼいません。当然ですが犯罪者がパンを食べているのも当然のことでしょう。

「犯罪者の99%以上がパンを食べたことがある」というのは統計的事実だったとしても、それは「パンが危険な食べ物である」ということにはなり得ません。しかし統計学は非常に難しく、こういった過ちをしてしまう方が多いので注意が必要でしょう。

対策方法

統計の罠を説明する。もしくは諦める

6)快不快と正誤が分別できない人

「ムカつくけど正しい。めっちゃ分かるけど間違っている」が通じない

誰だって頭ごなしに否定されたらムカつくものでしょう。しかしムカつくからと言ってその意見が間違っているかといえば決してそんなことは御座いません。

ローマの軍人カエサルは「人は見たいものしか見ない」と言いましたが、快不快で判断をしてしまう方はまさにこの言葉の通りでしょう。耳障りの良い言葉だけを信じて、耳障りの悪い言葉は全て否定する。そうなってしまうと正常に判断を下すことは出来ません。

人から頭ごなしに否定されてイラッとしてしまうこと自体は問題ないのです。問題なのはイラッとしたから、相手は間違っているというように快不快と正誤を直結させてしまうということ。逆にとても良いことを言ってくれたからといって、相手の意見を正しいと判断してしまうのもまた同じ問題と言えるでしょう。

対策方法

耳障りの良いことを言う。もしくは諦める

7)物事を分けることができない人

「その点に関しては正しい」が通じない

自動車事故が発生した場合、過失割合というものが重要になってきます。

例えばAさんとBさんが車で正面衝突をしたとしましょう。幸にして双方無傷だったのですが、後の調査でAさんはスピード違反かつ信号無視、一方でBさんは無免許かつ無灯火運転であることがわかりました。この場合、悪いのはどちらでしょうか。

この問題に関して言えばどう考えてもAとBの双方に問題あり、また双方に問題がない部分があるとも言えるでしょう。

例えばAさんはスピード違反をしていましたが、免許は所持しております。

一方でBさんは無免許ではありましたが、法定速度は守っておりました。

ですのでどちらにも問題があり、またどちらにも問題がない部分があると言えるでしょう。それを踏まえて最終的には「6:4でAさんが悪い」というように判断を下す必要がございますが、1つ1つの問題に関して言えばAさんが悪い、Bさんが悪いという部分が存在するのです。

しかし物事を分けて考えられない方は1つ1つの問題について言及せずに「Aさんが悪い!」「Bさんが悪い!」というように断罪してしまいがちなのです。最終的にその結論を出す必要があるにしても、1つ1つの問題を分けて考えられないと正しい判断を下すことは困難でしょう。

対策方法

1つ1つ理解させるのを諦めて、こっちにとって都合のいい最終結論だけ言わせる。もしくは諦める

8)対偶・逆・裏・集合が理解できない人

「鯨は哺乳類である」が通じない

対偶・逆・裏・集合は全て数学の概念で御座います。とは言え計算式は登場しないのでご安心くださいませ。

さて皆様もご存知の通り、鯨は一見すると魚に見えますが生物学的には哺乳類に分類されます。

ですので「鯨は哺乳類である」というのは正しいと言えるでしょう。

ここから少し難しくなるのですが、論理学には「対偶・逆・裏」という概念が御座います。少々難しい言葉では御座いますが、鯨の例で実例を出せばご理解いただけることでしょう。

・対偶「哺乳類でないならば鯨ではない」

・逆「哺乳類ならば鯨である」

・裏「鯨でないならば哺乳類でない」

このうち正しいのは「対偶」だけで御座います。

哺乳類の中には人間や犬もおりますので「哺乳類ならば鯨である」「鯨でないならば哺乳類でない」というのは間違っているとお分かりいただけるでしょう。これを論理学では「逆は必ずしも真ならず」と言います。

このことが理解できないと「〇〇じゃない人は人間じゃないって言いたいんですか!!」とか「〇〇は絶対にこれをしなくちゃいけないんですか!」という的外れな反論をしてしまいがち。例えば「リンゴは美味しい」と言った人に対して「みかんは不味いって言いたいんですか!!」と反論する方などが良い例でしょう。

対策方法

「りんご、みかん、葡萄(中略)パイナップル、いちじく、グレープフルーツは美味しい」というような言い回しをする。面倒なら諦める。なお文章が異様に長い人は、だいたいこの対策をしているため長くなっている。もしくは諦める

8.1)極大解釈をする人

「とは言っていない」が通じない

「行間を読む」というのは美徳のように語られがちで御座いますが、それは限られた場面で正確に行間を読めた場合に限ると言わざるを得ません。

先程の「りんごは美味しい」の例も拡大解釈に含まれますが、「貴方はここを治したほうがいい」と言っているだけなのに「あの人は私のことが嫌いなんだ」と思ってしまうような方もまた拡大解釈をしていると言えるでしょう。

対策方法

諦める

9)傾向論で極値を出す人・限定論で傾向を出す人

「男性は女性よりも身長が高い傾向がある」が通じない

日本人男性の平均身長は約170cm 一方で女性の平均身長は約158cmで御座います。

つまり傾向として男性の方が女性よりも身長が高いのは間違いありません。

もちろん世の中には背が低い男性も、背が高い女性も存在します。ですので太郎君(男)と花子さん(女)という限定的な条件で比較すれば、女性の身長の方が高いこともあるでしょう。しかしそれでも「男性の方が女性よりも身長が高い傾向がある」という傾向論は否定されるものでは御座いません。

ところが「男性の方が女性よりも身長が高い傾向がある」という意見に対して「女性でも背が高い人はいますけど?」という反論をして、その反論で論破をした気になってしまう方は決して少なくないでしょう。傾向を語る際に、極端な例を出すことは反論として成立し得ません。

逆に「太郎君(男)と花子さん(女)を比べれば、女性である花子さんの方が身長が高い」という限定的な話をしている際に「男性の方が女性よりも背が高い傾向があります」と反論をする方もまた話が通じにくい方と言えるでしょう。

傾向を語る際に極端な例を出すのが問題であるように、限定的な話をしている際に傾向を語ることもまたナンセンスなので御座います。

対策方法

「もちろん限定的に見れば背が高い女性もいますが、全体的な傾向としては」という前置きを必ずする。もしくは諦める

10)視点の差が理解できない人

「給付金はガンガン使うべきだ」が通じない

物事はどこから見るかで見え方が異なります。

例えばコロナの際に配られた給付金。これは国家全体として見ればガンガン使うが正解と言えるでしょう。

そもそも停滞した経済をなんとかするために給付金を配ったのです。ですので国民が給付金を貯金してしまったら、給付金を配った意味が御座いません。

しかし個人の視点で見れば、今後を見据えて貯金するというのが最適であることが多いのもまた事実。このように国家レベルで見た場合と個人レベルで見た場合で最適な結論が異なることは往々にして御座います。

また個人レベルでも視点によって物事の見え方が全く異なるのは間違いありません。

例えば牛丼の値段が下がったら、消費者目線では有難いことでしょう。しかし牛丼チェーンからすれば牛丼の値段が下がるのは望ましい展開では御座いません。

自分にとって好都合であっても相手にとっては不都合、逆に自分にとっては不都合でも相手にとっては好都合というのは当然のことで御座います。

ところが視点の違いが理解できない方は「なぜ自分にとって不都合なことを要求するのか」と怒り出してしまうのです。感情的に怒り出してしまうのは仕方がないにしても「こちらにとっては不都合でも相手にとっては好都合である」という視点の違いを理解しているかどうかは極めて重要でしょう。

対策方法

相手の視線の話だけをする。もしくは諦める

10.1)状況変化が理解できない人

「現代ではこれが正解」が通じない

過去は正しかった考えが、現代でも通用するとは限りません。現代では正しい考えが、未来でも通用するとは限りません。

しかし状況変化が理解できない方は過去に正しかった考えに固執して、現代の価値観に合わせることが出来ないのです。いわゆる「昭和の考え」と言われるようなものがこれに該当するでしょう。

逆に現代では正しい考えを持って、過去の人を捌き始めるのもまた「状況変化が理解できない人」であるのもまた間違いありません。

例えばアメリカ独立の父であるワシントンはバリバリ奴隷を使っていましたが、それで「奴隷を使う極悪人」というのも変な話でしょう。当時は奴隷を使うことが当然の時代だったので御座います。「現代の価値観で言えばワシントンのこの行動は問題がある」という言い方であれば良いのですが、「奴隷を使っていたからワシントンはクズ!」なんて断罪するのは状況変化が理解できていないと私は思います。

対策方法

状況が変わったことを伝える。ただし基本的に通じない。もしくは諦める

11)仮定の話が理解できない人

「もしも日本がアメリカに原子爆弾を落としていたらどうなっていたか」が通じない

原子爆弾は人類の恐怖であり、2度と使うべきではない兵器であると私は思います。

それ自体は良いのですが「もしも日本がアメリカに原爆を落としていたらどうなったのか?」という思考実験をしている際に「原爆を落とすなんて許されない!」と反論をする方は「仮定」が理解できない方と言えるでしょう。

「もしも日本がアメリカに原爆を落としていたらどうなったのか?」という思考事件をしている方は、何も原爆を落とせと言っているわけではないのです。ただその場合はどうなっていたのかということを研究しているだけで、原爆を肯定しているわけでは御座いません。

しかし仮定が理解できない方はそういった思考実験をしている方に対して「原爆を落とすとは何事か!」と反論をしてしまう。誰も原爆を落とすなんて言っていないにも関わらず、で御座います。

対策方法

仮定の話をしない。もしくは諦める

12)不必要に結論を急ぐ人

「現時点では判断できない」が通じない

その言葉を口にするかどうかは別にして、科学者が物を語るときには全ての言葉の前に「現時点では」という言葉が付いております。

例えば宇宙人(正確には地球外生命体)の存在について考えみましょう。

私たちはよく宇宙人がいるいないで議論を行いますが「宇宙人は絶対にいる派」の方も「宇宙人は絶対にいない派」の方も、どちらも科学的とは言い難いと言わざるを得ません。

この問題に科学的に回答するのであれば「現時点では地球外生命体を観測していない」といったものになるでしょう。

私の知る限りの話で言えば、現時点で地球外生命体を観測したという話は聞きません。しかしだからと言って「宇宙人はいない」と断言するのは早計でしょう。もちろん「宇宙人はいる」と断言するのもまた早計で御座います(見たことがある方はご一報ください)。

対策方法

ほっとく。実害が及ぶ可能性が高い場合は、行動に移さないか注視する。もしくは諦める

13)不用意に結論を先延ばしにする人

「妥協策」が通じない

1つ前の話と真逆になりますが、不用意に結論を先延ばしにする方もまた「話が通じない方」と言えるでしょう。

例えば私が余命半年と宣告されたとしましょう。この病を治すためにはとある手術をしなければならない。ただしこの手術は危険で術中に死んでしまう方も少なくない。

そんなことを言われたら誰でも一瞬は手術を受けるかどうか悩むことでしょう。しかし余命は半年なのですから、リスク覚悟で半年以内に決断をしなければ死んでしまうのです。

不用意に結論を先延ばしにする方というのは「妥協策」が通じない傾向があると言えるでしょう。確かに死ぬかもしれない手術なんて誰も受けたくはありませんが、決断には得てして時間制限があるのです。それを無視して最高の選択に拘っていたら、最高の選択が見つかる前に寿命が来てしまうことでしょう。

対策方法

ほっとく。それが出来ない場合、無視して行動に移す。もしくは諦める

14)絶対的な正解が違う人

「それでも地球は回っている」が通じない

異教徒は話が通じません。どちらが正しいとか間違っているという問題ではなく、本質的に話が通じません。なお、ここで言う「異教徒」と言うのは宗教に限った話ではなく「絶対的な正解」を何と考えているかということで御座います。

分かりやすい例が「進化論」でしょう。現代日本人の多くは進化論を信じておりますが、アメリカではようやく進化論を信じている方が過半数を超えた程度に過ぎません。つまり未だに多くの方が進化論を信じていないのです。

とはいえこれはどちらが正解というわけでは御座いません。私たちは「科学が正しい」と盲目的に信じているので進化論を信じておりますが、「キリスト教が正しい」と盲目的に信じている方にすれば進化論が受け入れられない考えであるのは間違いないでしょう。

おそらく科学を信じている方からすれば、進化論の証拠はこんなにたくさんあるのに何故信じられないんだ、とお思いになることと思いますが、キリスト教にもまた進化論を否定する証拠がいくらでも御座います。何せ聖書にそう書いてあるのです。これ以上の証拠はないでしょう。

「あいつは科学が分からぬ馬鹿だ」と言うのも「あいつは神の言葉が分からぬ馬鹿だ」と言うのも、そこに本質的な違いは御座いません。科学が絶対的な正解だと思っている方にとって聖書が紛い物であるように感じられるのと同じように、キリスト教が絶対的な正解だと思っている方にとってダーウィンの進化論は紛い物なので御座います。

どっちが正しい間違っていると言う話ではなく、お互いに理解し合えないというだけの話に過ぎません。

対策方法

理解し合えないことを理解する。もしくは諦める

14.1)目的が違う人

絶対的な正解が違う人に派生して「目的が違う人」もまた話が通じない人と言えるでしょう。

例えば会社が傾きかけていて、今すぐに対策をしないと倒産してしまうとします。

しかし皆様がどれだけ意見を出しても、上司は全て却下する。そんな上司を見て私たちは「話が通じない」と思ってしまいがちで御座いますが、実は「目的が違う」という可能性も存在するので御座います。

もしかしたら上司は会社を立て直す気なんてさらさらなく、むしろ社長に復讐をしたいと思っているかもしれません。そうだとすれば会社を立て直すための建設的なアイディアはあれこれ言い訳をして全て却下することでしょう。

そんな上司に対して「上司はこの素晴らしい改善策が理解できないのか!」と怒っても意味がありません。むしろ上司は改善策が素晴らしいものであればあるほど否定をするのですから。

対策方法

妥協策の提示。ただし通じないことも多い。もしくは諦める

14.2)科学教の信者な人

おそらく現代において最も厄介な宗教は「科学教」でしょう。

確かに現代の文明の多くが科学によって支えられているのは間違いありません。それに私も比較的科学を信じているので、科学が間違っているとか、科学は悪だなんて言うつもりは御座いません。

私が言う「科学教」というのは「科学的」と付けば何でも信じてしまう方のこと。

例えば「科学的にこの食べ物は体にいい」と言われたら、何の疑いもなく信じてしまうような方のことで御座います。

実は現代の新興宗教の多くは、少なくとも表面的には「科学的」であると自称しております。科学が間違っていると言いたいのではなく「科学的」という枕詞が付くと似非科学でも実証が甘い科学でも検証が甘い科学でも数年前に反証された科学でもなんでも感でも信じてしまう。そういった方のことを私は「科学教の信者」と呼んでおります。

対策方法

「科学的に」「統計的に」と言っておく。もしくは諦める。

15)理屈が循環している人

「だからどうしてなの?」が通じない

嘘とユーモアで構築されたアンサイクロペディア。その中でも「たらい回し」の記事は非常に秀逸なことで知られています。

「たらい回し」のページに行くと「盥回し」のページに飛び、「盥回し」のページに行くと「タライまわし」のページに飛び、「タライ回し」のページに飛ぶと「たらいまわし」に飛び、「タライ回し」のページに飛ぶと「盥まわし」に飛び、そして「盥まわし」のページに飛ぶと「たらい回し」のページに戻ってきてしまう。

実際にたらい回しをすることでたらい回しを体感させる非常に秀逸な記事では御座いますが、アンサイクロペディア以外でこんなことをしたら意味不明になるのは間違いありません。

例えば「Aという行為は犯罪だから悪」と主張した人に「どうしてAは犯罪なのか?」と質問すると「悪だから」と返ってくる。

「それではどうしてAは悪なのか?」と質問すると「犯罪だから」と返ってくる。

これは論理が循環していて、根拠としては非常に弱いと言わざるを得ません。

対策方法

大抵の場合、その論理が「絶対的な正義」になっているので諦めた方が賢明。

16)気がついていないことに気がつけない人

「ここまでの話が全て」が通じない

もしも私の文章が皆様にとって「見たいもの」であったならば、おそらく皆様はカエサルの言葉の通り、私の文章を読み、そして「こういう人がいる」と納得して下さったことでしょう。

しかし私も含めておそらく全ての人間はここまでに挙げた特徴を少なからず持ち合わせております。そうにも関わらず「こういう人いる」と他人事にして自分のことを顧みないのは「自分の過ち」に気がついてないからに他なりません。

例えば私が「条件設定が出来ない人」であったとしましょう。しかし私は自分のことを「条件設定が出来ない人である」と気がついていないので、「いるよなーこういう人」と他人事にしてしまうのです。

人間は自分が気がついていないということには気がつけません。皆様が「こういう人いるよねー」と想像したその人物が読んだがこの文章を読んだとしても「自分のことではないか」と思うなんてことはまずまずあり得ないのです。

対策方法

諦める。自分がそうなっていないかは気をつける。

 

相手も思っている

フランス語しか話せない人と日本語しか話せない人がそれぞれお互いの言葉で話していたら、会話が成立することは御座いません。

そしてフランス人は「この日本人は何を言っているか分からない。話が通じない人だ」と思うでしょうし、逆に日本人は「このフランス人は何を言っているか分からない。話が通じない人だ」と思うことでしょう。

残念ながら皆様が「こいつとは話が通じない」と思ったとき、相手もまた多くの場合において「こいつとは話が通じない」と思っているのは間違いありません。例え皆様が圧倒的に正しかったとしても、そんなことは関係ないので御座います。

人間は理解し合えないし、理解し合えても同調できるとは限らない

残念ながら人間は多くの場合において※1)※9)理解し合うことが出来ません。少なくとも※1)全ての人と分かり合うためには人間の寿命は短過ぎます※12※13)

また仮に理解し合うことが出来たとしても※11)それで互いに手を取り合うことが出来るとは限りません※8)

利益が相反することもありますし※10)、価値観そのものが異なる場合もあるでしょう※14)

もちろん対話を投げ出すべきではありませんが、そう長くはない人生において理解し合えない方のために多くの時間を割くのは時間の無駄になりかねません※13)

出来る限り相手との対話を心がけるべきではあるものの、無理なものは無理と諦める※13)。ただし相手のことを「理解できない人」と見下すのではなく、相手にとっては自分こそが「理解できない人」になっている※16)と理解することが重要であると私は思います。



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