お悩み相談

ファンとアンチは関わらないほうがお互いに幸せ

【ご質問】

私にとって嫌いなものも、他の誰かが好きだからこの世に存在していると私は考えています。

だから、たとえ自分が嫌いなものであっても悪口は言ってはならないと思っています。

また、そうした負の感情はなるべくうまず、正の感情をなるべく多く抱いて生活したらみんな幸せになるんじゃないかなどと考えています。

ところがツイッターでは嫌いなものに対してずっと文句を言っている人がいます。

さらに私の好きなものをボコボコに叩いている人がいます。先ほど述べた通り、私は自分が嫌いなものであっても叩いてはいけないと思っているので、私はその人が許せず苦言のリプを送ったところブロックされました。

そこで終わればいいのに私は他のアカウントを使って、そのアカウントを見に行ってしまいます。

そしてまた叩かれてるのを見て腹が立つのです。リプはブロックされて以来送ってないのですがこんなことを毎日してる自分に嫌悪感があります

なるべく負の感情を産まずにいきていたほうがなどという思想を持っていながら自ら矛盾することをやってしまう自分は最低だなと思いますがやめられません。

【回答】

ご質問誠に有難う御座います。

ご質問者様の仰る通り、自分が嫌いだからと言って何でもかんでも叩いたり苦言を言うのはあまり褒められたものではないかもしれません。

ところで、今回のご質問文に登場した「叩いている人」は一体なぜ、ツイッター上で何かを叩いているのでしょうか。

もちろん色々と理由はあるでしょうが、突き詰めればその理由は簡単です。

「何かを叩く」という行為が、楽しくて好きなのです。

私はツイッター上で「特定の何か」を叩いたり罵倒したりすることはあまりありませんし、今後もできる限りしないように気をつけたいと思いますが「何かを叩く」という行為が「楽しい」という気持ちは分かります。

今回、その叩いている方が具体的に「何を」「どのように」「誰に向かって」叩いていたのかが分からないので詳しい内容には触れませんが、人を否定し、罵倒し、自分より強い人間が落ちぶれる様を見るのが快感でならないというのは、人間の極めて基本的な感情ですらあるでしょう。

人を否定し、叩き、見下す。

確かに褒められた感情ではないかも知れませんが、そういう毒は、刺激的で、面白く、興奮する。

人を悪く言い、嘲笑い、馬鹿にする。

良くも悪くも人間にとってこれは快感なのです。

確かにこの世界には「悪口」という快感を摂取しすぎな人が多いですし、傍目から見て楽しいものでもないので否定されますが、だからと言ってこれを0にすれば良いとは私は思いません。

自分が「嫌」と感じたことを口にするというのは、それだけでも十分にストレス発散になりますし、今回のようにツイッターなどで「嫌」と書き込む場合、他の誰かが「そうだよね、あれは面白くないよね」と同意をしてくれる場合もあり、それは間違いなく快感でしょう。何よりも単純に悪口は「楽しい」

確かに何かを「嫌い」と主張する感情は、何かを「好き」と主張する感情と比較すれば「負の感情」であることは間違いありません。ですのでそういう「負の感情」というのはその負の感情で一緒に盛り上がれる人を見つけるのが難しい。逆に言えば「負の感情」で気持ちが一致したとき、人は大いに盛り上がり意気投合するのです。

また、誰かが何かしらの悪事をした時に異常なまでに徹底的に叩く方も多くの場合は「世の中を良くしたい」なんて思っておらず根本的には同じこと。

彼らは悪事を叩くというエンターテイメントで「悪に向かって暴言を浴びせる」ということを楽しんでいるのです。

「自分が正義である」ということに酔いたいのです。

自分のことを苦しめている巨悪が地獄に堕ちるのを楽しんでいる。日頃の鬱憤をはらさずにはいられない。それが正義か悪かなんていうことは本当のところ興味がない。彼らにとって重要なのは、敵が悪であるということではなく、どれだけ叩いても社会的に自分が責められないということ。合法的に人を殴ることが出来る施設みたいなもの過ぎません。

例えば水戸黄門などはこのエンターテイメントの集大成であると言えるでしょう。分かりやすい悪が横暴を振るうものの、必ず天罰を受ける。悪を正義が叩くというショーを私たちは欲しているのです。もしそのショーが面白くないのなら、あんなワンパターンな時代劇がここまで長続きするはずもないではありませんか。

また水戸黄門では悪代官がなぜ「悪代官」になったのかという話を基本的にしません。悪代官はどんな思いで、なぜ悪に染まったのか。そのことには言及せず「生まれながらの巨悪」として描く。なぜなら、もし悪代官に様々な悲しい事情があって悪代官になっていたら、彼らは正義に酔えなくなってしまうから。

もし悪代官が、可哀想な孤児のために金を着服していたら。

もし悪代官が、田舎に残した母さんや家族のために金を着服していたら。

もし悪代官が、人民に嫌われても国のことを思っていたなら。

彼らは自分の正義に酔えなくなってしまう。彼らは何よりもまず正義に酔いたいのです。

もちろん、今こうして私が”ご質問者様のこと”を否定しているのも正義に酔っているのかも知れません。

ともかく「誰かを叩く」という行為は、その行為を好きな人がいるからこの世に存在しているのです。

それならばご質問者様がやっている行為は何でしょうか?

誰かが好きなものを、叩いている行為ではありませんか?

人の悪口や、作品の文句しか言わない人が褒められた存在だとは私も思いません。確かに「好き」とか「いいね」と言う方がお互いにとって遥かに建設的でしょう。

ですが、わざわざ当人に向かって文句を言いに行ったり、当人が見つけるように言ったり、ツイッターであればDMやリプライでわざわざ当人に届くように言っている訳でなければ、それくらいのことは私は問題があるとは思いません。

むしろ「悪口はいけない!」という大義名分で正義を振りかざすために、わざわざ文句をリプライで送る方がずっとずっと迷惑であるとすら私は思います。

もちろん、今回はその「叩いていた人」が「何を」「どのような形で」「誰に向かって」叩いていたのかが分からないので、ご質問者様ばかりを否定するつもりは御座いませんが、そもそもの根本的なものの考え方として「人の悪口を言う」と言うことがそこまで悪いことだと私は思っていません。

もちろん呼んでもないのに、わざわざやってきて「それはクソだよね!」とかいうタイプの人は問題があると思いますが、身内で盛り上がっていたり、1人で勝手に言っているだけなら、それはその本人の趣味であり、ストレス発散法。それを弾圧するのはこれはもう言論統制でしかありません。

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