ご質問
私には付き合って3ヶ月の彼氏がいます。
付き合う前のデートで『子どもは二人がいいな』とか、『サッカーを一緒にしたいんだ』なんてことを言っていて、結婚願望がある人なんだなーと、そこが結構大きな理由で付き合い始めました。
しかし、仕事が忙しいという理由で、もう2ヶ月以上会っていません。
GWにやっと約束した日も、前日に『仕事』と断られました。
普段の連絡もマメではなく、週に1~2回返事があるかないか程度。
ただ、私が落ち込んだとき、必要としたときは返事がわりとすぐに返ってきて、言えば電話もしてくれます。
『なるべく時間作るようにするね』、『ごめんね』と、そんな言葉もあるのですが…
彼には私が必要なんでしょうか。
『今』必要でなくても、後々必要となるなら待っていたいのですが、結婚願望は本当だったのかな、と疑いたくなってしまいます。
私も仕事は忙しいですが、せめて月に1回は会いたい。2ヶ月も顔を合わせない彼氏って…なんなのかしら、と。
それでも何故か私には『好き』という思いがあります。
このまま彼を待っていてもいいのでしょうか。
彼の結婚願望を、真に受けていていいのでしょうか。
私は彼から好かれているのでしょうか…
よろしければご解答、よろしくお願い致します。
回答
ご質問誠に有難う御座います。
残念ながらご質問文だけで判断するのであれば、ご質問者様は大きな勘違いをしていると言わざるを得ません。
確かに彼氏様は「子供が2人が良い」とか「(恐らくは子供と)一緒にサッカーがしたい」というような発言をしておりましたが、別に結婚願望があるとは一言も言っていないのではないでしょうか?
彼氏様が「子供が2人が良い」とか「サッカーがしたい」と考えているのは恐らく事実でしょう。しかしそれはその過程に置いて発する労力を考慮しているものかどうかは分からないのです。
これはダイエットに例えると分かりやすいでしょう。
「痩せたいー」と発言する女性は多いですが、それは「痩せた体」が欲しいだけであり「ダイエットにかかる労力」を支払いたいわけではありません。
「痩せたい」という感情は事実であっても、それは必ずしも「ダイエットをしたい」という意味ではないのです。
この男性の推測が間違っているのはすぐにご理解頂けることでしょう。
今回の彼氏様の発言も構造的にはこれと同じで御座います。
あくまでも「子供が欲しい」とか「サッカーがしたい」というものであり、それにかかる労力を支払いたいという意味かどうかは分かりません。
もちろん、彼氏様が労力を踏まえた上で「子供が欲しい」と考えている可能性も御座いますし、そもそも結婚を労力だと考えていない可能性だってあるでしょう。
その場合であれば彼氏様に結婚願望があるのは間違いありません。
しかし残念ながらその場合でも、その結婚願望がご質問者様に向いているとは限らないのです。
危険な状態
誠に申し訳御座いませんが、彼氏様に結婚願望があるのかどうかは分かりません。
またご質問者様のことを必要としているかどうかも私には分かりません。
ですがご質問文からして、まず間違いなく断言できることが私には御座います。
それはご質問者様が追い詰められているということ。
もしも彼氏様が「結婚願望あるんだ」というように明確に結婚願望を肯定する発言をされていたら、ご質問者様は間違いなくそのことをご質問文に書いたことでしょう。しかしそれが無いということは、恐らく彼氏様は一度も「結婚願望がある」と断言をしたことは無いのだと思います。
ともすれば、ご質問者様は薄々勘付いていらっしゃるのでは無いでしょうか?
もしかして私が勝手に結婚願望があると勘違いしただけで、彼は別にそんなこと言ってなくない?
と。
そもそも、もしもご質問者様が本気で「子供が欲しい=結婚願望がある」と確信しているのなら、ご質問文は「結婚願望があると言ったのに、全然する気がない! 彼は嘘を付いているのでしょうか?」というような文面になるのではないかと思いました。
しかしご質問文はそうではありません。
それどころか「結婚願望がある人なんだなーと」とあるように、ご質問者様は付き合う前の段階では「結婚願望あるんだなー(自分の推測)」だったのです。
それがご質問文が進むにつれて、徐々に「結婚願望があると発言した」というような論調になっていく。
これはご質問者様が実際に過ごした時間の流れなのではないでしょうか?
付き合う当初、ご質問者様は「この人は結婚願望がありそう」くらいにしか思っていなかった。つまりそれが「自分の推測」に過ぎないことを理解されていたのでしょう。
しかし付き合う期間が進むに連れてその「推測」が、あたかも「事実」であるかのように変化していってしまった。
もしもこの推理が正しいのであれば、ご質問者様はただの推測を事実であるかのように曲解したのです。
そして人間が真実を意図的に曲解するときというのはいつだって「見たくない真実に追い詰められているとき」と相場は決まっているのです。