12の銀行
1945年に太平洋戦争に負けた日本はGHQによって支配されていた。
日本の商業をリードしていた財閥は解体。東京銀行の親にあたる横浜正金銀行もまた解体された。
1946年。横浜正金銀行の事業を継続する形で東京銀行が設立。
1947年に貿易が再開。
そして……1954年
大蔵省
それではこれから外国との取引は東京銀行のみで行うものとする!
東京
横浜正金
横浜正金
(これでもう明治時代のようなことは起こらないだろう。あの頃は誰でも外国との取引が出来るせいで、日本の金がどんどん海外に流出してしまった……)
横浜正金
(儂が外国との取引を独占することで問題は収束したが……そのせいで今度は儂がGHQに狙われてしまった。)
戦前の外国為替
横浜正金銀行はピーク時には日本の外国為替の4割を占めるシェアを持っていた。しかし、外国為替で大きなシェアを持っていたためGHQに目をつけられ解体。東京銀行に業務を引き継ぐことになる。
大蔵省
(横浜正金が無き今、その仕事を誰かが引き継がなくてはならん。まだ立ち上がったばかりの日本では外国との取引は国が管理しなくてはならないのだ。)
東京
1954年、戦後日本において外国との取引は「東京銀行」が独占して行うことになる……はずだった。
???
東京
三井物産
お祝いの席にお邪魔してごめんね。でも外国との取引の話なのに
三菱商事
横浜正金
東京
三菱商事
ええ、そうですよ。戦前はお世話になりました……なりましたっけ?
三井物産
君のお父さんは仕事が遅かったんだよ。だから海外との取引が多い僕と商事くんは、君のお父様じゃなくて自分の家で取引をしていたんだ。
物産・郵船・横浜正金
明治時代。日本が海外進出する際には三井物産が支店を作り、日本郵船(≒三菱商事)が航路を繋ぎ、そして最後に横浜正金が進出するという順番になることが多かった。
本来、国としては横浜正金銀行が海外進出のリーダーシップを発揮することを期待していたが、この二社が優秀過ぎて後手後手に回ってしまう結果になってしまう。
先ほどシェアの4割が横浜正金と書いたが、残りの6割はほぼこの2社(プラスグループの銀行)
横浜正金
三井物産
娘さんに代替わりするみたいだけどさ、これから国際化が進む中で君たちだけに取引を任せるのは不安なんだよ。また昔みたいに仕事が遅かったら話にならないしね。
三菱商事
幸いにして、私と物産さんには独自に築き上げたノウハウや伝手がありますので。
東京
そんな……ですが貴方達は商社ではありませんの? これからの日本において国際的な銀行は必要不可欠ですわ
三井物産
その点は安心してよ。僕たちにもちゃんと味方はいるから
三井
三井銀行
三井財閥を支える名門銀行。戦前は日本を牽引したが、内輪揉めが激化し最近はその地位を落としている
三井
同じ三井の名前を背負っているんですから……あなたの後始末をする身にもなってください。
三井物産
三菱
商事も……我々は喧嘩をしに来たわけじゃないんですから……
三菱銀行
三菱財閥を支える銀行。ブランド力は超一流だが慎重過ぎる性格が災いしてイマイチ殻を破れずにいる
三菱
三菱商事
三菱商事
さて、私達は彼らと一緒に海外との取引をしていました。横浜正金さんほどではないにしても、十分に実績もノウハウも御座います
三井物産
どうするの大蔵さん。日本の復興のために僕と商事の協力は不可欠でしょ? ここで恩を売っといてもいいんじゃないの?
大蔵省
(貿易は日本の要……海外との貿易で圧倒的なシェアを握る三菱と三井の気分を害しては、この国の復興などありえん……止む終えんな……)
大蔵省
大蔵省の野望
大蔵省としては自分の子飼いである東京銀行に海外との取引を独占することを望んでいたものの、三井物産や三菱商事の反対があり断念。
しかしそれでも東京銀行には海外取引の4割を独占させることを目標にしていた。
三井物産
三菱商事
東京
そんな!! 大蔵様、私達の立場はどうなるんですか!?
大蔵省
三井物産
あ、そうそう。東京以外の者にも認めるってことはさ、三井と三菱以外にも認めてくれるんだよね?
大蔵省
三井物産
東京
第一勧業
当時は第一銀行と日本勧業銀行。後に合併して第一勧業銀行になる。
第一勧業銀行
日本最初の銀行である第一銀行が日本勧業銀行と合併したことで誕生した銀行。第一銀行はもともと三井銀行と合併し「帝国銀行」となっていたが、内部揉めで分裂。その後に日本勧業銀行と合併した。資金力では日本随一だが、合併の際のゴタゴタから中々抜け出せていない。なんだかんだでいつも内部のゴタゴタを抱えている。全ての都道府県に支店を持っていたこともあり宝くじを販売していた。
三井
第一勧業
※第一銀行と三井銀行は元々「帝国銀行」という1つの銀行だったが内部分裂で別会社になった。
富士
てめらいい加減しろ。今日は喧嘩をする場じゃねえだろ。
富士銀行
金融の名門安田財閥の中心企業。もともとは安田銀行という名前だったが戦後「富士銀行」に改名。長い間日本トップの座を守っていた。
富士
三井
太陽神戸
東海
当時は神戸銀行
太陽神戸銀行
神戸を中心に展開していた神戸銀行と、東京を中心に展開していた太陽銀行が合併して誕生した銀行。キャッチコピーは「ひろげましょう ほほえみの輪を」
東海銀行
名古屋に本店を置く銀行。トヨタを筆頭に中京工業地帯を支える名門銀行
太陽神戸
でも富士くんもダメだよ? そんなにピリピリしちゃ。みんなニコニコしよ?
富士
住友
そうですよ。”一応”リーダーをされているのですから、あまりみっともないことをしないで頂きたいですね
三和
住友銀行
住友財閥の中心企業。本社は大阪。とにかく冷徹なことで知られており収益面では非常に優れていた。しかし一方でその冷徹さから敵が多く、好感度は低かったと言われている。特に経営危機のトヨタを見捨てたことが後々大きな問題になってしまった。
三和銀行
大阪の銀行。財閥ではないのに財閥並みの力を持っていた。しかし財閥と比べてブランド力に劣っていたため、どうしても「庶民派」感が拭えなかった。住友と並んで「あいつとは合併したくない」と言われることが多い
三菱
三和
出た出た良い子ちゃん。自分だけ真面目ぶっちゃって笑
住友
三和さん止めましょう。関東の方には我々関西と違うルールがあるのですから。 ねえ?大和さん?
大和
大和銀行
隠れた名門銀行 野村證券のグループ企業であったため、他の銀行とはやや毛色が違った。色々と特権がある代わりに制限も多い銀行
大和
三和さんは凄いですけど、そういうところはちょっと苦手です……
三和
三和
大和
日本興業
三和
日本興業銀行
Googleで「日本興業銀行」と検索をしようとすると「日本興業銀行 エリート」「日本興業銀行 プライド」と出る銀行。つまりはそういう銀行。大企業相手の業務が中心で、個人客はほとんど相手にしていなかったため規模の割に知名度が極めて低い。
日本興業
東京
富士
大蔵様。この度は”我々にも”外国との取引を認めて下さり誠に有難う御座います。
第一勧業
横浜正金
富士
横浜正金さん。もう戦後ですよ、そんな古い名前で呼ばないで下さい。今はもう「富士」ですから。
大蔵省
三井物産
僕たちだけが独占しちゃうと他の銀行が黙ってないからねぇ。だけど安心して下さい、僕たちだって日本の復興を望まないわけじゃない。僕たちよりザコいヤツまで参入させろとは言いませんよ。
三菱商事
「国とともに生きる」 我々三菱はいつだってその精神を忘れません。
国と共に生きる
三菱財閥の裏の社訓。
明治の頃から政府との取引で利益を上げまくっている三菱財閥の象徴的な言葉。
東京
大蔵省
……こうなったら仕方あるまい。だが我々はお前を支援する。いくらなんでも我々が支援するお前が他の奴らに負けることなんて……
東京
三井物産
三菱商事
三井
(どれだけ国が支援しようとも、直接お客様を抱えている三井物産を擁する私達が負けるはずもありません……物産の仕事は一流です。半分公務員みたいな会社に負けるはずもない……)
三菱
(残念ですが、あのお嬢さんでは我々三菱の相手にはなりませんね……
物を作って売るのが貿易。我々三菱はその”物”を作っているのですから。)
大蔵省
それでは東京を「外国との取引専門銀行」とし、他の11の者を「外国との取引をしてもいい銀行」とする。ただし我々としては東京を全力で支援するということを忘れるな。
三井物産
三菱商事
東京