【ご質問】
旦那がいても知らない男の人と会ってみたいと思うのはおかしいのでしょうか。
私は一昨年に同世代の方と結婚を致しました。
結婚生活に不満はなく、一緒にゲームしたり、遊びに行ったり、仲のいい夫婦だと思います。男女の営みもしっかりしております。
ただ時々、知らない男の人と会って話をしたい。わいわいしたい。女としてのときめきを感じてみたいという衝動に駆られます。
旦那とは友達から恋仲に発展し、5年の付き合いを経て結婚しました。
友達の頃からお互い茶化しあったり、愛のある悪口を言ったりと、小学生みたいなやりとりばかりで、正直なところ、キュンとした瞬間はあまりありませんでした。
ただ、旦那はすごく優しく、おもしろく、わたしのことを愛してくれています。そういうところをわたしは愛しております。
男性とのちゃんとした交際経験は旦那としかなく、経験不足であったのが原因なのでしょうか。
また、この衝動を抑えるためには、どうすべきでしょうか。
【回答】
ご質問誠に有難う御座います。
浮気がバレた男性は、よくその言い訳として食事を例に出します。
「ハンバーグは好きだけど、毎日ハンバーグじゃ飽きるでしょ。浮気もそれと同じだよ。ハンバーグに問題があるわけじゃない」
だいたいこんな感じでしょう。この言い訳が相手に対して失礼であり言い訳として不適切なことは私も同意致しますが、同時にこれが男性の本心であることもまた否定できません。
そしてこの気持ちが何も男性に限ったものでもないというのもまた事実でしょう。
女性だって毎日ハンバーグなら飽きるのです。「浮気は男の本能だ」なんてことを仰る方がいらっしゃいますが、浮気の統計を見ればその言葉は間違っていると言わざるを得ません。浮気は男の本能ではなく、人間の本能で御座います※1。
もちろん浮気願望の大きさや実際に行動に移すかどうかには個人差があることでしょう。しかし浮気願望に関して言えば人類共通の特徴であると言わざるを得ません。少なくとも浮気願望が全くの0という人間はこの世に存在しないと少なくとも私は思っております。
ですので「知らない男の人に会ってみたい」という衝動は「おかしい」どころか極めて普通の衝動でしょう。むしろその衝動を抱いたことがない方だいらっしゃるのであれば、そっちの方が驚きで御座います。
※1:「浮気は人間の本能」は「浮気は男の本能」を包含しているので厳密には間違っていない。
衝動は消えない
韓国やアメリカでは性犯罪者に性欲減退のホルモン注射をするという法律が話題になっております。この法律の是非はともかく、人間の衝動を本気で抑えようとしたら、これくらい過激なことをしなければならないのでしょう。
そのためご質問者様が衝動を抑えようと思ったら、それこそ謎のホルモン注射でもしない限り不可能であると私は思います。ですので衝動を無くすることは事実上不可能であると思いますが、無くなったということにすることは可能でしょう。
その方法は自己正当化。
そもそもご質問者様は自分の衝動を悪いものと考えているからこそ、衝動を抑えたいと思っていることと思います。しかし衝動そのものを無くすことは出来ません。そんな時、人は自己正当化をするので御座います。
「この衝動は良いものである」
「この衝動は誰かのせいであり、私の責任ではない」
浮気をした時に「浮気をしたのは相手の行動に原因であり、自分には責任がない」と主張する方は男女問わずたくさん存在いたしますが、これもまた自己正当化の1つでしょう。恋人に不満はなかったのに、浮気をした後になって急に「実は本心では不満を抱えていた」なんて自己正当化をしている方を見かけたことが誰しも一度くらいはあるはずで御座います。
「恋人に不満がなければ浮気なんてしない」なんて大嘘です。男女関係なく人間はタイミングで浮気をするのです。
正直に申し上げると、この方法は少なからず自身の精神衛生を改善することが出来るのは間違いありません。何でもかんでも人のせいに出来るのですから、少なくともその瞬間は楽になれることでしょう。
しかし旦那様を筆頭に、周囲の人からすれば溜まったものではないのもまた事実。殺人鬼が自分の犯行は社会のせいであると逆ギレしているのと構造は何も変わりません。
感情は生理現象
残念ながら現代の科学では地震を防ぐことは出来ません。
しかし例え地震を防ぐことが出来なくとも、地震によって生じる被害を抑えることは出来るでしょう。そのためには地震の存在を認め、その上でいざという時のために備えることが重要で御座います。
衝動もまたこれと同じではないでしょうか。
衝動そのものを抑えることは出来なくても、その衝動が大問題を引き起こさないように備えることは出来るのです。
私たちは人間であり、衝動を抱くことも少なくありません。人を殺したいと思ったことも、物を破壊したいと思ったことも、浮気をしたいと思ったことも、横領したいと思ったことも、詐欺をしたいと思ったことも、誰しも少なからずあることでしょう。
しかし幸いにも私がこれまでそういった衝動を実行へ移さなかったのは、衝動を生理現象だと思っていたからではないかと思います。
衝動や感情は生理現象で御座います。膝の下の窪みを叩くと足が自然に跳ね上がるのと同じ。そこに善悪など御座いませんし、人間の意思すらが介在しているかどうかすら怪しいところでしょう。
ですので私は殺したいという衝動に駆られても、自分のことを少しも否定したりは致しません。
衝動はそれだけならば何にも悪くはありません。衝動を行動に移すから悪になるのであり、衝動で止めているだけならば何も悪くはないのです。
ところが衝動を己の意志だと考え、そして衝動すらも悪として考えてしまうと衝動を抱いただけの自分のことまで否定してしまいます。そして自己否定に耐えられなくなると、その辛さから逃げるように自己正当化を始めるのでしょう。
「この衝動は誰かのせいであり、自分は何も悪くない」
「この衝動は正当なものであり、実行することも許される」
思考回路はテロリストと何も変わりません。
衝動と行動を分離する
知らない男の人と会ってみたいという衝動自体は極めて普通のものでしょう。男性だろうが女性だろうが、毎日ハンバーグを食べていれば、たまには別のものを食べたいと思うのは極めて普通のことで御座います。
そしてその衝動自体は悪いものでも何でも御座いません。ですので例えそんな衝動を抱いたとしても、自分自身を否定する必要は全くないのです。
これは自己正当化のために言っているわけでは御座いません。そうではなく衝動を否定すると、より凶悪な自己正当化を行ってしまうので多少強引にでも衝動を否定をするなと言っているので御座います。
衝動を抱くことすらも否定してしまったら、ご質問者様はその辛さに耐えかねて自己正当化を始めることでしょう。強引に旦那様の不満点を探し出し、そして重箱の隅から見つけてきた問題点を大げさに掲げ、自分が衝動を抱いたのは旦那の行動のせいであると仰ることと思います。
どうか忘れないで下さいませ。現時点で、ご質問者様は旦那様に何の不満も抱いてはいないのです。毎日ハンバーグだと飽きるので、たまには別のものが食べたいと思ってしまっているだけに過ぎません。ハンバーグには何の不満もないはずで御座います。
自己正当化を始めると、ハンバーグにすら文句を言い出してしまうのです。不快ではなかったものまでが不快に見えて、世界は敵ばかりに見えることでしょう。
そんな人生を歩みたいのであれば、自己正当化をすることをオススメさせて頂きます。自己正当化という夢から覚めずに死ぬことができれば、その人生はそこそこ幸せになることでしょう。
無論、周囲の方が不幸になるのは言うまでもありませんが。