お悩み相談

【反出生主義】人間は生まれて来ない方が幸せなのだろうか?

【ご質問】

私はいわゆる反出生主義者です。

子供を作ることは道徳的に悪だと思っています。

この時点で上野さんのご両親の行為について悪く言ってしまっている事でご気分を害させていたら申し訳ありません。

子供を作る事に対して私が問題視しているのは、働かないと生きていけない事、あらゆる不幸に見舞われるリスク、逃れられない死です。

生まれてよかったと思っている人がいる事も幸せな人がいる事も理解しています。

しかし、同時に生まれたくなかった人も発生するなら両方生まれない方が良いと考えてしまいます。

周りで妊娠報告や出産報告を聞いても悲しくなります。

人が「子供が欲しい」と言っているのを聞いてイライラする時もあります。

この考えが正しいという絶対の自信はありません。

もし違うのなら知りたいと、ネットで反出生主義について調べたり、相談出来そうな人に打ち明けてみたり、思いつく事はしましたが、納得の行く反論や理屈は得られませんでした。

この考えが正しいのなら少しでも広めたい、間違いなら同じ反出生主義者に教えてあげたいと思っています。

現時点で広めていないのは、間違っていた場合ただ子供が欲しい人と作った人を傷つけてしまうだけになるからです。

纏まらない文章で大変申し訳ありません。

私のこの考え方は間違いでしょうか。

矛盾やおかしな点がありますでしょうか。

不幸な人をなるべく減らすために私にできる事は何でしょうか。

反出生主義とは

人間が子供を産むのは倫理的に悪とする考え。

【回答】

ご質問誠に有難う御座います。

物事の真偽を決めるためには、何かしらの基準がなければなりません。例えば「自動車は速いか?」という問いの場合、その基準が飛行機であれば自動車は遅い(偽)となりますし、逆に自転車が基準であれば自動車は速い(真)となるようなもので御座います。

この基準のことを私は独自に「公理」と呼んでおります。公理とは論理学の言葉であり、言葉の意味を正確に説明するのは極めて難しいので割愛させて頂きますが、今回の記事に限って言えば「絶対的な目的」と考えて頂ければ問題ございません。

「絶対的」とはどういうことかと言えば、それは「そう決めた」と認識をして頂くのが最も分かりやすいでしょう。要するに「これを究極の目的にする」と私が勝手に決めたということで御座います。

例えば私の場合「人類を存続させなければならない」ということを公理としております。つまり物事の真偽を決める際には「それが人類の存続にとって有益か不利益か」ということで判断をしているということ。この公理は私が「これにする」と決めたもので御座いますので、どうしてそれが公理なのかと聞かれても「そう決めたから」としか答えようが御座いません。

 

 

さて、それでは今回のご質問に回答するにあたってご質問者様の公理は一体どのようなものでしょうか?

ご質問者様は「道徳的に」という抽象的な言葉を利用されておりますが、その道徳とは何時代のどこの地域のどんな学派の道徳でしょうか?

そしてその道徳の公理は一体なんでしょうか?

判断基準を何にするのか分からないのに、その問いの真偽を答えることなど到底出来ません。

基準が違えば答えも違う

一条
本当に人類の存続なんてことを究極の目的にしてるんですか……?
上野
してないということはないですが、どっちかと言えば論理的整合性を取るために、それを公理にしてるという側面もありますね。

手段と目的の取り違え

30年ほど生きた私の経験則では御座いますが、ほとんどの人は「幸せになりたい」ということを公理にしていると言えるでしょう。一方で「不幸になりたくない」を公理にしている人間はあまり見たことが御座いません。

「幸せになりたい」と「不幸になりたくない」は一見すると同じことを言っているように見えますが、その意味は全く違います。

これは勝負で考えると分かりやすいでしょう。

「幸せになりたい」は勝負で言うと「勝ちたい」で御座います。一方で「不幸になりたくない」は「負けたくない」というものになるでしょう。

「負けたくない」と思っている場合、戦わないという手段を取ることこそが最も合理的で御座います。0勝0敗は負けてはおりません。

一方で「勝ちたい」と思っている場合、戦わないという手段は最も非合理的な手段の1つで御座います。戦わなければ絶対に勝てません。

 

もちろん「勝ちたい」と思っている人も「負けたい」とは思っていないのですが、それは”勝つという目的を達成させる手段として”負けたくないだけなので御座います。

同じように幸せになりたいと思っている人は、幸せになるための手段として不幸になりたくないと思っているに過ぎません。この違いは一見すると大したことがないように思えますが、極めて重要な違いなのでご注意くださいませ。

 

さて、ここからは私の想像なのですが、ご質問者様は過去この話を誰かに打ち明けた際にこんなやり取りをされたことがあるのではないでしょうか?

ご質問者様:貴方は不幸な人を減らしたいと思う?

相手:思う。

ご質問者様:それなら半出生の方が良くない?だって生まれなければ不幸にはならないから。

相手:えー、でもそれはなんか違くない?

 

ご質問文には「納得できる理屈が得られなかった」と書かれていましたが、その「納得できない理屈」というのはこんな感じのやり取りだったのではないでしょうか。

確かに「なんか違くない?」で納得できるはずもないでしょう。全くもって論理的な意見では御座いません。こんな感覚的な理屈で納得できるのであればそっちの方が驚きで御座います。

それではこのやり取りの問題点がどこにあるのかと言えば「目的」と「手段」が混同されてしまっていることでしょう。

この相手の方にとって「不幸な人を減らす」ということが「手段」であるのに対し、ご質問者様にとって「不幸な人を減らす」ということは「目的」になっているので御座います。

そのことを踏まえて相手の方の「なんか違う」を厳密に言語化してみると、おそらくこんな感じになることでしょう。

 

・不幸な人を減らすことに同意したのは、それが幸福な人を増やすという目的を達成するための手段として有効であることが多く、会話の流動性のために厳密性を犠牲にしたに過ぎない。

・そのため幸福な人を増やすという目的に対して有効ではない場合、不幸な人を減らすという手段を肯定しない。

・反出生は不幸な人を減らすという目的を達成するためには有効であるかもしれないが、幸福な人を増やすという目的に対しては明確な害となるだろう。

・よって幸福な人を増やすということを目的とする立場からすれば、例え不幸な人を減らすとしてもその手段には反対である。

 

やってることはだいたい法体系と同じ

目的が違えば正解も違う

まず私の意見から述べさせて頂きましょう。私の公理は「人類は存続すべし」というもので御座います。その公理に則れば、当然ですが半出生には反対せざるを得ません。なにせ子供が生まれなければ人類存続出来ないのですから。

もしかするとご質問者様は「でも不幸な人が生まれる」という反論をされるかもしれません。しかしこの反論もまた私の公理に則れば簡単に反論が可能で御座います。

私の公理、つまり究極の目的は人類の存続。ですので人類の存続のためであれば、不幸な人間が生まれることも止む無しと判断するだけで御座います。私にとって「不幸な人を減らす」というのは人類の存続という目的を達成するために有効に働くことの多い手段の1つに過ぎず、目的の達成に害となるのであればそれに同意する道理は御座いません。

 

こういうことを言うと「お前は人を不幸にしたいのか!」という意見が出てきそうなもので御座います。しかし私はあくまでも”人類の存続のためならば不幸な人が生まれるのも止む無し”と言っているだけであり、むやみやたらに不幸な人を増やしたいなんて思っているわけでは御座いません。

そもそも人類が不幸になればなるほど「人類の存続」という目的が達成される確率は下がると私は考えていますから、基本的には幸せであって欲しいと願っております。

ですので私にとっては「自由」も「平等」も「自然保護」も「憲法」も、全て「人類存続という目的を達成するために有効であることの多い手段の1つ」に過ぎません。少なくとも現代においてはこれらの手段が人類存続に役立つことが多いので同意しておりますが、もしもこれらの手段が人類存続の害となるような状況となれば、私は容易にこれらの手段に反対することでしょう。

逆に「不自由」も「差別」も「環境破壊」も「絶対王政」も、それが人類存続という目的を達成するための手段として有効な場合、私は容易にそれに賛成するという意味でも御座います。そんな状況は、あまり来ないと思っておりますが。

 

次に「幸せになりたい・幸せな人を増やしたい」ということを公理にしている人の立場を考えてみましょう。この公理の場合でも、多くの場合は反出生に反対になるのは間違いありません。

そもそも生まれなければ幸せにはなれません。もちろん生まれても絶対に幸せになれるとは限りませんが、それは「負けるかもしれないから戦わない」と言ってるのと同じでしょう。不幸になりたくない”だけ”であれば生まれないという選択肢も有効になり得ますが、幸せになりたいのであれば生まれないという選択肢は非合理的な選択肢であると言わざるを得ません。

 

最後に「不幸になりたくない・不幸な人を減らしたい」ということを公理にしている人の立場はどうでしょうか。

この公理を持つ場合、反出生は極めて正しい理論と言えるでしょう。人類が絶滅すれば不幸な人間も当然0になります。不幸な人を減らすという目的はこの時点で達成されたと言えるでしょう。

この理屈に少なくとも私が考える限りでは矛盾点は1つも御座いません。

 

それではご質問者様の公理は一体どんなものなのでしょうか。

もしもご質問者様の公理が「不幸な人を減らす」というものであれば、反出生は極めて正しい手段と言えるでしょう。なぜならば「不幸な人を減らす」という目的を達成するために、これ以上有効な手段はそうそう御座いません。

もちろん不幸な人を減らすという目的を達成する手段は他にもあるでしょうが、反出生が有効な手段の1つであることは間違いないでしょう。

逆に言えば「不幸になりたくない・不幸な人を減らしたい」ということを公理にしていない人間にとっては、多くの場合において反出生は合理的な手段になり得ません。

分かり合えても共には歩めない

ご質問者様がどちらにお住まいかは存じませんが、仮に私と一緒に池袋に住んでいるとしましょう。

ある日、私は大阪に、ご質問者様は仙台に行く用事が出来ました。一緒に家を出て、東京駅までは一緒に行くことでしょう。

しかし、そこで私は東海道新幹線に、ご質問者様は東北新幹線に乗らなければなりません。東京駅までは一緒に行けますが、そこから先は共に行動することができないのです。

無論、私もご質問者様もお互いの目的地を知っているので、相手が自分と同じ電車に乗れないことを十分に理解していることでしょう。しかし理解できたところで共に歩むことは決して出来ません。もしも私が「なんで君は東海道新幹線に乗らないんだ!」なんて怒り出したら、頭がおかしいとお思いになることでしょう。

 

公理が違うとはそういうことで御座います。目的が違う相手を理解することはそこまで難しくありませんが、共に歩むことが出来る範囲は限られているのです。

東京駅までは一緒に行けたとしても、そこから先は違う電車に乗らなくてはなりません。

ですのでもしもご質問者様が「不幸な人を減らしたい」ということを公理にしているのであれば、私はご質問者様を理解することは出来ますが共に歩むことは出来ないのです。目的地が違う以上、必ずどこかで袂を分かちます。

確かに私も「不幸な人を減らしたい」とは思っていることが多いのは事実。しかしそれは「手段」として有効な場合が多いからそう思っているだけに過ぎません。それは手段であり、私の目的ではないのです。ですので、その手段が私の目的達成に害になる場合は反対せざるを得ません。

 

「不幸な人を減らしたい」ということが公理、つまり絶対的な目的であるのなら、反出生は手段として正しいでしょう。少なくとも私は矛盾点が見つかりませんでした。しかし私は、そしておそらく多くの人はそれを公理、つまり絶対的な目的にしておりません。

ですので私はご質問者様の意見を理解することは出来ますが、理解した上でご質問者様の意見に反対するのです。

人間は必ずしも分かり合えないから争うわけではありません。人間が対立する原因はほぼほぼ全て利害の対立で御座います。特に国と国の問題などは顕著でしょう。敵国の考えや目的なんて理解するだけなら極めて容易。理解をした上で利害が対立し殺し合いをするのです。

反出生には反対だが、反出生主義の存在は肯定できる

これまで述べたように、私は反出生には反対の立場で御座います。その理由は私の公理が「人類の存続」であり、その目的を達成するために反出生は明確に害となるからで御座います。

ただ、私は反出生には反対なのですが、同時に反出生主義に関してはそれなりに肯定的な立場を取っております。これだけでは何が何だか分からないと思いますので、その理由を説明させて頂きましょう。

 

まず私は人類の存続を公理としているのですが、その目的を達成するために人類には幸福であってほしいと願っております。

そして世の中には一定数不幸な人間がいて、そんな不幸な方の一部にとって「反出生主義」がある種の気休めになるのもまた間違いないと考えております。

ですので反出生主義が社会の主流になったり、社会的な大問題を起こしてしまったら私としては困るのですが、ごく一部の方々が自身の不幸を癒すために反出生主義になることは私の公理に反しません。

今を生きるご質問者様がそれで幸せであり、なおかつ周囲の人を不幸にしないのであれば別にそれで良いのではないでしょうか。

 

もちろんこれもまた全ては「人類存続」を公理としている私の立場の意見に過ぎません。「不幸な人を減らす」ということを公理にされているのであれば、反出生は矛盾する考えではないでしょう。

上野
公理が異なる存在を理解するのはそんなに難しくありませんが、共に歩むのはほぼ不可能で御座います

※不勉強なため法学、論理学などに関しての誤りがある可能性が御座います。万が一、誤りが御座いましたらご指摘頂けると幸いです。



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