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可哀想とすら思ってもらえない可哀想な人たちへ

無敵の人を社会から撲滅せよ

この国には何十万何百万という無敵の人が存在することでしょう。

そしておそらく今後その数は増え続けます。

もちろん無敵の人が全員犯罪者になるというわけでは御座いませんが、失うものがない人が増えることが社会にとって脅威なのは間違いないでしょう。

そんな彼らを隔離せよ、という意見もあることと思います。

わかりやすくいえば犯罪を犯す前に逮捕をしたり、逮捕をしないにしても隔離施設に放り込むなどといった方法を取ることは可能かもしれません。

しかし、人類は「それをしない」と決めました。

KGBやゲシュタポのような秘密警察を作ってはいけないと歴史から学び、それをしないと決めたのです。

それにもしも彼らを隔離したら、その時は次の無敵の人が生まれるだけでしょう。

100人の学校で最下位の人間を追放したら、99位だった人が最下位になるだけなのです。

「無敵の人」は相対的にしか存在しません。

どれほど人を追放しようと、残った中の最下位がまたしても「無敵の人」になるだけでしょう。

だからこそ、私たちは無敵の人を抹殺してはいけないのです。

抹殺とは殺すことでは御座いません。

その者の存在を認めず、無視することこそが抹殺という言葉の意味なのです。

 

無敵の人が求めているのは認知。

人から認められ、人から必要とされ、人から愛され、人から尊敬される。

それこそが彼らが求めているものに他なりません。

罪を犯した彼は、その存在を抹殺しなければなりませんが、まだ罪を犯していない無敵の人は抹殺をせず、認知をしてあげなければならないのです。

人を殺すより、殺さない方が認知してもらえる。

罪を犯さない方がメリットが大きい環境を作らなければ、無敵の人の犯罪を防ぐことはできません。

無敵の人は可哀想ですらない

生まれつき重大な障害を背負っている方

大学に行きたくても収入的にいけない方

何かしらの事件で大きな怪我をしてしまった方

アフリカの子供たち

こういった方々は「可哀想」な方たちで御座います。

彼らは可哀想な人たちと言えるでしょう。

とは言え何も私はこういった方々が必ずしも不幸であるとは思いません。

この言葉の意味をご理解いただくために、とある募金の話をさせていただきましょう。

 

少し前に、私はとある募金のキャンペーンを見つけました。

その募金はアフリカの貧しい子供達に使われる募金だったのですが、募金者が支給される子供を選べる募金だったのです。

この募金には通常よりも多くのお金が集まったと聞きました。

確かに募金者としては、自分の募金が誰に使われるのか選びたいところでしょう。

しかし、この募金はきっと可哀想ではない不幸な人を救いません。

こんな仕組みにしたら「可哀想な表情が上手な、割と可愛い顔立ちをしている5歳くらいの女の子」「すごく苦しそうな顔をしている赤ちゃん」にお金が集まるのは明白でしょう。

汚らしい格好をした性格の悪そうな顔をしている不細工な男の子には、金など集まらないのです。

なぜならそういう男の子は可哀想に見えないから。

先ほど、生まれつき大きな障害がある方のような方のことを「可哀想」と表現しましたが、それはこういう理由で御座います。

こういった属性を持っている方は分かりやすく「可哀想」に見えやすのです。

実際に不幸かどうかは分かりませんが、客観的に可哀想に見えることが多いからこそ、私は「可哀想」という言葉を使いました。

しかし、見るも不快な顔をした不幸な男など、誰も可哀想だとは思いません。

私たちは不幸な人を救いたいのではなく、可哀想な人を救いたいのです。

そして得てして、無敵の人とは「可哀想」ですらありません。

「可哀想だ」と認知をして貰えていれば、無敵の人にはならないのです。

「可哀想だ」とすら思ってもらえないからこそ、彼らは人からの認知を求め無敵の犯罪者へと変化をしてしまいます。

私は何も「可哀想な人を救う必要はない」と言いたいわけでは御座いません。

そうではなく「可哀想ですらない不幸な人」をどうにかして減らしたいと考えているだけで御座います。

「可哀想ですらない不幸な人」というのは、何も今回のような無敵の人だけでは御座いません。

 

結婚をして暖かい家庭を築いているように見える不幸な人

出世頭として順風満帆に見える不幸な人

普通の生活が難しい現代で、普通の生活を達成している普通に見える不幸な人

ブラック企業大賞にノミネートもされないような会社で働く不幸な人

会社に束縛されずに自由に働いているように見える不幸な人

不倫関係を楽しんでいるように見える不幸な人

たくさんの異性に言い寄られてモテモテに見える不幸な人

 

そして、恐らくは今回の犯人も含まれているであろう、30代から60代くらいで仕事もできず、これといった趣味もなく、人間関係も希薄で、顔も悪く、あたかも存在していないかのように扱われている不幸な人。

そんな「可哀想ではない不幸な人」に、無敵の人になりつつも最後の一線を越えずに耐えている方に、せめて私からだけでもこの言葉を送らせていただきたく、今回のコラムを書かせて頂きました。

可哀想とすら思ってもらえなくて、本当に可哀想ですね、と。

 

この言葉を「上から目線だ」と批判する方もいらっしゃることと思いますが、誰か1人でもこの言葉が届けば幸いです。

今回の事件によって被害に遭われた方の一刻も早い回復を心よりお祈り申し上げます。

 

お詫び

本記事は加害者が死亡しているため、加害者の心理状況は推測になります。

その点に関して多数のご意見を頂きました。

ここにお詫び申し上げます。

しかし、加害者の心理状況が別のものであったとしても本記事に意義はあると判断し、掲載を継続させて頂きます。

なお、加害者の心理状況に関して新たな情報が判明した場合、その点に関して修正させて頂きます。

何卒よろしくお願い致します。



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