サラリーマンという保険商品
このように生命保険は根本的に「日々の生活を苦しくする代わりに、破綻するリスクを極限まで下げる」ということをその目的としております。
ですので生命保険に入るためには「破綻するリスク」があることが必要不可欠であると言えるでしょう。その「破綻するリスク」というのは、生命保険で言えばズバリ「自分が死ぬことで経済難に陥る家族」で御座います。
高度経済成長期の頃に日本において「結婚しない」という選択肢はほとんど存在致しませんでした。さらに父親が家計の収入のほとんどを稼ぐという構造も確立され、まさに「生命保険」にぴったりの家庭が多数誕生したのです。
実はこの「日々の生活を苦しくする代わりに、破綻するリスクを極限まで下げる」という仕組みは保険以外にも存在致します。
そしてそれこそが今回のご質問者様のお悩みに対しての回答になることでしょう。
それは「サラリーマン」
そもそもビジネスにはリスクが付きもので御座います。どんな仕事であっても利益にならない可能性は存在しますし、失敗をすれば多額の借金を背負うことだってあるでしょう。
もちろん、逆に成功すれば多額の資産を生み出すことが出来るのですが、多くの方は「多額の資産」よりも「破綻するリスク」に目が行ってしまうもの。その要望に答えた形の雇用形態がサラリーマン(給与所得者)で御座います。
ブラック企業の問題などはあるものの、サラリーマンをしていて「給料が出ない」ということはあっても「借金を背負う」ということは通常あり得ません。それに給料が出ないということも極めて稀でしょうし、完全に違法です。
また特に正社員であれば、クビのリスクもほとんどないので生活は安定するでしょう。もちろんその代償として成功しても利益のほとんどは企業に入りますが、これは保険料の仕組みと同じと言えます。
1億儲かっても20万。1億損しても20万。安定というのは変わりばえしないということ。
これがサラリーマンの基本的な概念です。
当然ですが保険と同じで「期待値」で考えれば、サラリーマンという選択肢は全体で見るとマイナスになります。ちなみにもしも期待値がプラスの会社があったとしたら、それは「社員が稼ぐ金額<給料」ということなので倒産します。
しかしそれでも絶対に最低限の給料は保証されるという安定性から皆様サラリーマンになるのです。
それでは、その保証は一体何に向けられたものなのでしょうか?
生命保険の「保障」は残された家族に向けられたもので御座いました。
サラリーマンの「保証された給料=保障」は一体何に向けられたものなのでしょうか?
余談 最低限の給料
法律の話ではなく構造の話として、最低限の給料についての補足を1つさせて頂きます。
もちろん最低賃金に関しての法律は御座いますが、その法律がなければ企業の考える最低限の給料というのは「翌日も仕事に来る金額」で御座います。つまり、法律さえ無視すればどれだけ文句を言っても出社している時点で企業目線で考えれば最低限の給料は満たしていると言えるでしょう。
これは企業を擁護するために言っているのではなく、絶対に辞めない社員の給料を上げる会社など、基本的には存在しないから気をつけるべき、という話で御座います。もしも給料が上がったのなら「辞めるかもしれない」と警戒されているか「給料をあげないデメリット」が存在するかのいずれかでしょう。
温情で上げることもあるかも知れませんが、ワンマン企業ならまだしも、経営陣がサラリーマンの会社ではそんなことはまず起こりえません。
もちろん法律は御座いますが、法律は「助けてくれたらラッキー」くらいに思っていた方が皆様の幸せに繋がることと思います。
こちらは企業が給料をいくらでも下げる、という内容のコラムです。
今回の話とかぶる部分も御座いますので、よろしければお読みくださいませ。
やりがい
例えば趣味が生きがいな方にとって、経済的に破綻することは「趣味ができなくなる」というリスクと同じ意味合いが御座います。ですので「趣味が出来なくなる」という最悪の状況を避けるための選択肢として「サラリーマン」という保険に入っているのです。
家族が生きがいの方にとって、経済的に破綻することは「家族の生活の破綻」で御座います。ですので「家族の生活の破綻」というリスクに対しての保障としてサラリーマンという保険に加入しているのです。
つまりサラリーマンという雇用形態は、そもそもの構造として仕事以外に何かしらの「生きがい」があり、その「生きがい」が失われることへのリスクヘッジとしての手段なのです。もちろんサラリーマンの成り立ちの歴史を考えれば、必ずしもそういう構造ではありませんでしたが、時代の流れとともにそのように変化を遂げたのは間違いないでしょう。
そのためサラリーマンである以上、根本的に「仕事を生きがいにする」ということが極めて困難なのは間違いありません。
もちろんサラリーマンであっても「仕事が生きがい」という方はいらっしゃいますが、そういう方は雇用形態こそサラリーマンであるものの、精神構造が経営者に近いものであることがほとんどです。
仕事以外の生きがい
「結婚&専業主婦」が基本であった時代は「家族の生活を守る」ということを生きがいとしてサラリーマンをすることが可能でした。子供や奥さんに対して愛情を持っている旦那さんが「仕事にやりがいを!」なんて言い出すことがほとんどないのはそのためでしょう。
しかし、結婚もしていない、趣味もない、生きがいもない、という方にとって「サラリーマン」という選択肢は基本的に辛い選択になります。そもそも「生きがい」を守るために「サラリーマン」という期待値的には悪い選択肢を取っているはずなのに、その「生きがい」がないのですから当然でしょう。
もちろん、だからと言ってサラリマーンという仕事にやりがいが全くないかと言えばそんなことは御座いませんが、サラリーマンという雇用形態はその根本として「仕事より大事なもの」がなければ構造として成立しにくい、また「サラリーマン」という雇用形態である以上「仕事そのものにやりがいを見いだすのは構造的に難しい」ということは考えていたほうが良いかもしれません。
生きがいは「生き残ること」
それではご質問者様のように生きがいがない、とお考えの方の生きがいはいったい何なのでしょうか。
この疑問の答えはご質問文の「生きていくためにはお金が必要なので」という部分に隠されております。この部分を突き詰めると、今のご質問者様の生きがいは「生き残る」ことに行き着くことでしょう。
1秒でも長く生き残るということが生きがいなのです。
89歳まで生きる楽しい人生よりも、90歳まで生きる辛い人生を選ぶような生きがい。
これは生物的な観点で見れば、極めて合理的な選択であると言えるでしょう。そもそも生物の生きる意味というのは「自分のDNA」を1秒でも長くこの世界に存在させることに尽きます。ですので何も悪いことは御座いません。
その生きがいの究極系が子供で御座います。自分のDNAのコピーを子供という形でより長く存続させるのですが、そもそもなぜ「1秒でも長くこの世に存在しなくてはいけないのか?」ということは議論外のテーマなのです。強いて言えば「1秒でも長く存在しなくてはいけない」と思うことが出来ない個体はこれまでの歴史で淘汰されたから、としか言えません。
「生き残る」ということが生きがいの方にとって、サラリーマンほど合理的な選択はないでしょう。それも出来る限り手厚い保険であるサラリーマンであればあるほどベターです。言い換えれば「万が一のリスク」のために、日々の生活を極限まで苦しくするということ。
生命保険に傷害保険、医療保険に住宅保険、地震保険に火災保険、自動車保険にゴルフ保険、海外旅行保険に介護保険とありとあらゆる保険に入るのが最善の選択です。
保険料で家計が破綻するギリギリまで保険をかけることこそが「1秒でも長く生き残る」という目的のためには最善の手段に他なりません。
これならば少なくとも経済的に豊かになることは御座いませんが、その代わりどんなリスクが発生してもそのギリギリの生活を維持することが出来るでしょう。
ですので「1秒でも長く生きる」ということを生きがいにしている方には「どれほど苦痛でも絶対に今の会社をやめるな」というアドバイスしか出来ません。楽しさややりがいを求めると、そこには何かしらの「リスク」が発生してしまいます。
そしてリスクというのは「1秒でも長く生きる」という目的に対して最悪の手段です。ですので、絶対にやめるな、としか言えないのです。