お悩み相談

試す人は壊れるまで安心しない。

【ご質問】

ある友人への対応に困っています。相談に乗って頂きたいです。

ある日、友人から私に直して欲しいところがあると話を受けました。私は友人から悩み相談を持ちかけられるたび、友人の悩みの本質を理解したいために悩みの内容をかなり深堀りしてしまっていました。

それが私から友人へのマウントのように思えるからやめてほしいと言われたのです。友人が踏み込んで欲しくないところまで土足で入ってしまっていたことに後悔し、それからは頷き聞くだけに徹しています。

またある日、友人から自分との関係を切ってほしいと言われました。友人曰く、私が友人と一緒にいるメリットがない、時間を奪いたくないとのことでした。

切りたいのはあなたでしょと思いつつ、しかし私はメリットの問題ではなくただ一緒にいたいだけ、あなたはどうしたいのかはっきり言ってと怒ってしまいました。すると友人は泣きながら一緒にいたいと言っていたので困惑しながらも友人関係を続けています。

そして現在、友人のことがもうよくわかりません。

突然LINEがきたと思えば1週間未読無視されたり、また突然電話したいと言われた後に連絡が途絶えたり、と突然→無視の繰り返しです。

元は私の言動が原因なのでとやかく言う権利はないですが、少し苛立ってしまいます。私はどうするのが正しいのでしょうか。

どんなお言葉でも構いません、アドバイスを頂きたいです。よろしくお願いいたします。

【回答】

ご質問誠に有難う御座います。

一般的なスマートフォンは0℃から40℃くらいを動作保証温度にしております。つまり0℃から40℃の環境で使っている分には壊れることはありませんとメーカーが保証していると言えるでしょう。

とは言え現実的にスマホはこれよりも遥かに広い温度帯で使用することが可能で御座います。日本は冬になれば気温がマイナスになることも珍しくありませんが、氷点下の屋外でスマホを使ってもそうそう壊れることは御座いません。また昨年の8月に静岡県浜松市では41.1℃という気温が記録されましたが、そんな炎天下でスマホを使用しても恐らくスマホは壊れません。

それではスマートフォンは実際にどの程度の温度になると壊れてしまうのでしょうか?

これを調べるためには、スマホが壊れるまで試験を繰り返すしかありません。50℃で壊れなかったとしても、51℃では壊れてしまうかもしれないのです。51℃では壊れなくても52℃なら壊れてしまうかもしれません。そのためスマホが壊れるまで温度を上げ続け、壊れた時点の温度を調べるしか限界を知る方法は存在しないのです。

このように製品が壊れるまで品質試験を繰り返す方法をHALTと言います。

HALTとDVT

メーカーが製品を作った際には、その品質を調べなくてはなりません。

このように品質を調べる試験のことを品質試験と言うのですが、その方法は大きく2つ御座います。

1つ目の方法が先ほども登場したHALT。これは製品を過酷な環境に放り込んで、製品が壊れるまでその試験を継続するというもの。この試験では「実際にどの程度まで製品が耐えうるか」という製品の限界を調べることが出来ます。

もう1つの方法がDVT。これはあらかじめ条件を決めておいて、その条件でも製品が壊れないかどうかということを調べる方法で御座います。

例えばこれまでの地球の最高気温はアメリカのデスバレーで記録された56.7℃で御座いますので、60℃でも壊れなければ品質的には十分でしょう。もちろん実際に試験をする際にはもっと余裕を持たせるのかもしれませんが、製品が実際に使われる場面を想定して、その条件下でも製品が壊れないかどうか検査する方法、それがDVTで御座います。

この2つの試験はどちらが良い悪いというものでは御座いません。その時々の目的によって使い分け、より正確で丈夫な製品を作っているので御座います。

しかし、これはあくまでも「工業製品」の場合の話。

HALTにはある致命的な欠点があることを忘れてはいけません。

製品が必ず壊れる

いくらでも同じ製品を作ることが出来る工業製品の場合、品質試験で使った製品が壊れても大した問題ではないでしょう。

しかし、同じものが2つとして存在しないものの場合、HALTはあまりにも危険な試験方法であると言わざるを得ません。

限界を知るためとは言え、HALTは試験で使った製品を必ず壊すのです。2つとして同じものがないものでこんな試験を行ったら、限界が分かったところでその製品はこの世に存在しないのですから、何の意味もございません。

人間にHALTをする人

私もご質問者様も、この世界に2人として同じ人は存在しない唯一の存在で御座います。

ですので私やご質問者様の品質を調べるためにHALTを使ってはいけません。試験をすることはできても、試験が完了した時、私もご質問者様も壊れてしまっているのです。

ところが今回のご友人様は、ご質問者様にHALTを行ってしまいました。

まずは悩み相談。

悩み相談をして愚痴を言いまくっても、ご質問者様が壊れないかご友人様は試験を行いました。ご友人様は見事にこの試験をクリアしましたが、この試験はHALTなのでこれで試験は終わりません。

次に不満。

ご友人様は「こういうところを直して欲しい」と言って、ご質問者様にストレスを与えました。幸か不幸かご質問者様はこの試験も耐えましたが、この試験はHALTなのでこれで試験は終わりません。

そして友人関係を断ち切る宣言。

この試験でもご友人様はご質問者様にストレスを与えましたが、ご質問者様はなんとかこの試験もクリアされました。しかしこの試験はHALTなのでこれで試験は終わりません。

さらにLINEの未読無視。

今のところご質問者様はこの試験もクリアされたようですが、壊れるギリギリまで来ているように思えます。しかしこの試験はHALTなのでこれで試験は終わりません。

HALTは限界を調べるテストなので、ご質問者様が壊れるまで試験は決して終わらないのです。

そして何かの試験でご質問者様が壊れた時、ご質問者様を試験していたご友人様は

「製品Aはこれだけのストレスを与えると壊れる」

という試験結果を得ることでしょう。

「この程度で壊れるなんて、この友情はまだまだ不完全だ。偽物の友情だった」と結果に満足しないまま。

因果をどこまで求めるのか

私ごとで申し訳ないのですが、先日スマホのアプリで誤って不必要な課金を行なってしまいました。

これは全てご質問者様のせいで御座いますので、私が誤って支払った1220円を早急にお支払いいただけますでしょうか?

なぜご質問者様のせいなのか説明させて頂きましょう。

私がとあるアプリをインストールしようと思った際、ご質問者様からのご質問メールが私の元に届きました。そのタイトルがなかなかに興味深かったので、私の意識はそちらに向いてしまい、私は誤って課金ボタンを押してしまったので御座います。

どこからどう見てもご質問者様のせいとしか言えません。ですので早急に1220円を下記口座までお振り込みくださいませ。

もちろんこんなものは言いがかりでしかありません。ちなみに私は誤って課金をしておりませんのでご安心くださいませ。

しかし、今回のご質問者様はこの因果関係について少し考える必要があるのではないでしょうか?

ご質問者様は「私の言動が原因」と仰っておりますが、確かにご質問者様の行動に原因の一端があるのは間違い無いでしょう。

ですがそんなことを言ったら、そもそもご質問者様がこの世に生を受けたこともまた原因の一端であるのは間違いありません。ご質問者様が生まれて来なければ、今回の問題は発生しなかったのですから、ご質問者様が生まれたことが問題と言うことだって出来るでしょう。しかしそれがあまりにも理不尽であることはご理解いただけることと思います。

確かにご質問者様に原因の一端があることは間違いありません。しかし原因の一端はご友人様にもありますし、周囲の人間にだっていくらでも御座います。

また仮に原因の全てがご質問者様にあるとしても、それがそのままご質問者様の責任ではないということもご理解いただきたく思います。

例えばご質問者様が物凄くモテすぎてしまったことが原因で、周囲の人間関係が破綻し殺人事件に発展したとしましょう。根本的な原因は確かにご質問者様にあるかもしれません。

しかし責任は人を殺した人間にあり、ご質問者様には責任など存在しないのです。

原因と責任は違います。

今回の件に関して言えば、そもそもの原因の多くは、友人に対してHALTを行うご友人様にあると思いますし、仮にご質問者様に原因があったとしても、その責任はご友人様にあると私は思います。

またそれらを全て取り払って考えたとしても、それでもなおご友人様に責任があると私は思わずにはいられません。

例えばご質問者様がご友人様に心ない一言を言ってしまったとしましょう。それ自体はご質問者様に原因も責任もあるのは間違いありません。

しかしだからと言って、それを理由にしてご友人様がご質問者様のことを刺し殺したら、それは「ご質問者様に責任がある」と言って許されることでしょうか?

ご質問者様がどれほど酷いことをされたのかは知りませんが、客観的に見てご友人様の行動はその行為に対して酷過ぎるものであると私は思います。

ところでご質問者様は今回のご質問で「友達がいる」と仰いましたが、これは友達がいない方々へのマウント行為では御座いませんか?

友達がいない方がこの質問を見たら、どう思うか考えて質問をお送りになられたのでしょうか?

あまりにも配慮がありません。そんなマウント行為をして良いと思っているのでしょうか?

ご質問者様がご友人様にどんなことをされたのかは知りませんが、どうにもご友人様が仰っていることはこのレベルの話であるような気がしてなりません。

友達を安心させてあげよう!

2018年6月30日。北海道大樹町で1機のロケットが発射されました。

その名もMOMO2号。ホリエモンこと堀江貴文氏が設立したISTのロケット発射実験で御座います。

さて、この発射実験は発射してわずか4秒後にロケットが落下する形で幕を閉じました。多くの方はこの実験結果を悲しんだり嘲笑ったりしたようですが、実際にロケットを開発している技術者たちはこの結果を大いに喜んだと言われています。

というのもロケットが4秒で落ちてくれたおかげで、ロケットの回収が容易に行えたのです。もしも数千メートル上空に到達してから落下してしまったら、その残骸を回収するのはほぼほぼ不可能。つまり失敗の原因を分析することすら出来ないのです。

このように技術者というのは失敗を喜ぶこともあるのです。特に限界を知る実験であるHALTの場合、製品が壊れるという一見すると失敗に見える結果こそが、その実験の成功と言えるでしょう。

それでは今回のご友人様はどうでしょうか?

本人に自覚があるかないかはともかくとして、ご友人様はご質問者様の限界を知るためにHALTを行っております。HALTは壊れるまで終わりませんので、ご質問者様が精神的に壊れてしまうまでこの実験は終わることがありません。

しかしご友人様にとってはご質問者様が壊れることこそが成功なのです。ですのでご友人様はご質問者様が耐えかねて相手との関係を終わらせた時になってようやく「成功した」と思えることでしょう。

もちろんご友人様の心の中には「成功」なんて言葉は存在しません。

ですが、きっとご友人様の心の中には無意識でこんな気持ちが渦巻いているのです。

「いつか裏切られるのではないか。どれだけやったら相手は裏切るのか」

これを一言で言えば「不安」でしょう。そしてそんな不安に苦しんでいるご友人様は安心したくて仕方がないのです。

それではご友人様が安心するのは一体どんな時か。

それはご質問者様が試験に合格した時では御座いません。

ご質問者様が試験に耐えかねて壊れてしまったとき、ご友人様は「これだけやると壊れる」という結果を得て安心するので御座います。

確かにそれは喜びでは無いかもしれません。しかし歪んだ形ではあるものの、それが「安心」であるのもまた間違いないのです。

残念ながらご友人様は安心をされたい方のようですので、ご質問者様がご友人様にしてあげられることは安心させてあげることだけでしょう。



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