コロナウイルスの影響で本業であるラブホが壊滅的に暇になってしまった私は最近映画を見ております。
その中の1作が『リーマンブラザーズ 最後の4日間』
史上最大の大倒産をしたリーマンブラザーズの倒産劇を描いた映画なのですが、映画そのものをオススメするつもりは御座いません。正直金融や経済に関心のない方からすればてんで面白くない話でしょう。
しかし映画の冒頭にあるとあるセリフ。
それだけを今回は紹介させていただきたく思います。
「100人中102人は銀行員を嫌うはずだ」
「だが理由は言えない」
流石に100人中102人は言い過ぎで御座いますが、100人中101人くらいは銀行員が嫌いでしょう。
銀行員が好きな人なんて、銀行員とその家族くらいなもの。それ以外はみんな銀行員が嫌いと言っても過言ではありません。
不仲な二人
私の働くラブホテルのフロントにHさんとSさんという方がいらっしゃいました。
Hさんはラブホ業界で働いて20年あまり。趣味は自転車、競馬、ヤクルトスワローズというなかなか硬派なHさんは仕事中は大抵競馬の予想かヤクルトの応援をしております。
もちろんお客様が来た際にはベテランらしく落ち着いた対応をして下さっているので、私としては何の不満も御座いません。他のスタッフに対してあまり心を開かずに孤独を愛するという節は御座いますが、勤務時間中にほぼ人と関わることのないラブホのフロントとしてはむしろそれがプラスに働くことも多いでしょう。
そして何よりも20年もこの業界で働いているだけのことはあり、ラブホに関しては私よりもはるかに詳しい頼りになる先輩で御座いました。
一方でもう1人のフロントのSさんもまたラブホ業界で働いて20年近くになるベテランで御座います。温和な性格で人当たりも良いSさんはスタッフからも好かれている好人物だったでしょう。
勤務中は編み物をしていたり、本を読んでいたり、まぁ色々とされているみたいですが、お客様の対応は非常に上手くトラブルを起こすことも御座いません。
そして何よりも面倒見がいい。お菓子作りが趣味なのか、人にお菓子を振舞うのが趣味なのかは分かりませんが、頻繁にお菓子を持ってきては人に振る舞っていらっしゃいます。旅行に行くと必ずお土産を買って帰ってくる人と言えばイメージがしやすいでしょう。
この2人は2人とも私のホテルに無くてはならない素晴らしい人材で御座いました。
残念なことに「御座いました」なのです。
素晴らしいスタッフであったSさんとHさんですが、この2人には1つだけ大きな問題が御座いました。
それはこの2人が非常に不仲であるということ。
どちらかと言えばクールで人と関わることをあまり良しとしないHさんと、やたらとお節介で人と関わりまくるSさんが不仲になるのは当然と言えば当然かもしれません。そのため私も極力シフトをズラして、2人が接触しないように心がけておりました。2人が会うのは朝の引き継ぎのわずかな時間だけ。せいぜい5分10分のことでしょう。しかしそれでも2人の仲が険悪なのは手に取るように分かるのです。
そしてそれが原因かは分かりませんが、残念なことにHさんは退職をしてしまいました。
Hさんと初めて喋った夜
私は競馬をよく知りません。
知ってる単語はせいぜいナリタブライアンとかディープインパクトとかウォッカとかオグリキャップとかデムーロ程度。どの馬が強いのかなんて全く分かりはしないのです。
一方でHさんは勤務中もネットで馬券を買うほどの競馬好き。そのくせ競馬新聞のことを「あれはおっさんの読み物だ」と言って謎に毛嫌いしていたのをよく覚えています。競馬好きなくせに、競馬新聞を広げているおっさんとは一緒にされたくないという謎のプライドがあったのでしょう。
さて、ラブホ業界は水物であり忙しくなると思ったらガラガラだったり、その逆になることも珍しくありません。
ある土曜日のこと。忙しくなると思って夜勤のシフトを入れていた私はHさんと一緒にフロントにおりました。残念ながら私の予想は完全に外れてその日はガラガラ。雑務は22時頃に終わってしまい、あとは朝の9時頃まで何もやることがないという凄く楽な悲惨な状況になってしまいました。
時計の短針がテッペンを周り、日付が変わった頃。Hさんは熱心にスマホで何かを調べていました。何のことは御座いません。いつも通り明日のレースの馬を必死で調べているのです。
Hさんは自分から人に話しかけるタイプでは御座いません。私もまたそんなHさんに対してはあまり話しかけないようにしておりました。
しかしあまりにも暇で魔が刺したのでしょう。ふと、Hさんにこう話しかけてしまったのです。
「競馬って楽しいですか?」
予想通りというかいつも通りというか、Hさんからは「ええ」という短い返事しか返ってきませんでした。別にHさんは怒っているわけでもなく厄介に思っているわけでもなく、単純にこういう方なのです。
ただ、その日はあまりにも暇だったのか私は会話を広げようとしてしまいました。
「ネットで馬券買えるんですよね?お金出すので1枚私の分も買ってくれませんか?」と。
少なくとも当時の私は何の意図もなくHさんにこう言いました。
ですが今にして思えば、この言葉こそがHさんという人間を理解する最初のきっかけになったのだと思います。
私の言葉を聞いたHさんは、スマホから顔をあげ私の方を向くと真剣な顔でこう言いました。
「デムーロはやっぱダメだと思うんですよ」と。
ミルコ・デムーロ
ミルコ・デムーロ。
イタリア出身の騎手であり、2011年から日本の競馬で騎乗をしている名騎手。
ちなみにHさんが毛嫌いしている競馬新聞を読んで、自分のレースの戦略を立てるというなかなか面白い騎手だそうです。
理由はよく分かりませんが、Hさんはこのデムーロという騎手に(悪い意味で)謎の期待をしておりました。
「デムーロは信用できない」「デムーロはダメ」「デムーロ以外なら何でもいい」
Hさんはデムーロに親でも殺されたのかと思うほど、デムーロだけは信用していませんでした。そのためデムーロが出走するレースを特に好んでいて、よく馬券を買っていたそうです。
少し分かりにくいかもしれませんがHさんの理論では「デムーロは絶対に勝たないから、デムーロ以外に賭ければ当たる確率が上がる。ただし2着3着にはなることもあるから3連買う場合は注意しろ」とのこと。まぁ私も最後までよく分かりませんが、それはとりあえず良しとしましょう(なおデムーロ騎手は現時点で1041勝)。
さて、私が馬券を買うと言った夜。私がシフトを大外しして11時間にもおよぶ暇が生まれてしまった夜。Hさんは私に熱く競馬論を語ってくれました。
競馬に無知な私がスマホで調べながら「なるほど」「そうなんですか?」「どうなんですかね?」と意見にもならない意見を言っても、Hさんは「いやそれは」「そうじゃなくて」「だからこれは」と様々な話をしてくれたのです。
夜も更け、空が黒から紺に変わり、チェックアウトが始まり始めた頃、Hさんの意見を考慮して私は3連単と複勝を1000円ほど購入しました。おぼろげな記憶の片隅に「ゴールドシップ」という名前だけが残っております。
Hさんが結局どの馬券を買ったかまでは覚えておりませんが、Hさんは確か5000円ほど何かの馬券を買っておりました。
そして勤務時間が終わり、Hさんが次のスタッフに引き継ぎをして帰ろうとしたとき、Hさんは私にこう言い残して帰ったのです。
「レース結果はこのサイトで見れますから、ちゃんと確認しといてくださいね」
Hさんが「お疲れ様です。失礼します」以外の言葉を残して帰って行ったのは、私の記憶の限りこれが最初だったと思います。
結果として私の馬券は紙屑になりました。正確に言えばネットで購入したので紙屑にすらなっておりませんが、ともかくなけなしの1000円札はゴールドシップのせいで私の財布から姿を消してしまったのです。
しかし紙屑にすらなれなかった1000円札は、紙屑にならない代わりにHさんがどうしてあれほどSさんを嫌っていたのかという問題の答えを教えてくれました。
とは言え私がその答えに辿り着いたのはつい最近のこと。
リーマンブラザーズ 最後の4日間を見ていた時に、ふと大学時代のSちゃんのことを思い出したときのことで御座います。
リスクを負え
大学生の頃の私は仲間内でよくボードゲームをしておりました。
主要メンバーは私を含めた男4人。その4人にサブメンバー的なポジションで数名が加わってゲームをしていたのです。
そんな中、サブメンバーの1人であるKちゃんはいまいち仲間として打ち解けてはおりませんでした。
Kちゃんは唯一の女性。とは言えボドゲも上手ですし、人間的にも魅力的な方でした。というより正直に言えば私が完全に片思いをしていた女性です。
しかし、それでも彼女はこのグループの仲間とは思えなかったのもまた事実。
Kちゃんよりもはるかに参加率の低いサブメンバーのOは仲間と感じていたのに、Kちゃんのことは仲間として思えない。
良き遊び相手であり。
良き友達であり。
良きゲームプレイヤーであり。
片思いの相手ではあるものの
仲間ではない。
おそらくこのKちゃんと同じように、男性ばかりのグループに入ろうとしたら、男性から微妙に阻害されて何となく仲間になれないという経験をされたことがある方は少なくないでしょう。
実際に経験をしたことはなくとも、そのような状況を見たり、疎外感を与える側になった経験は誰でも一度くらいはあることと思います。
当時の私はその原因が「男性の結託による女の締め出し」だと思っておりました。実際そういう理由も少なからずあるでしょうし、それだけが理由で締め出されることもあるでしょう。
しかしこのKちゃんに関して言えば、それ以外にもっと大きな理由があると気がついたのです。
それこそが「リスク」
実はどうにも私を含めたこの男共は何かを賭けてボードゲームをしていたようなのです。
いえいえまさかまさか偉人の肖像が描かれた薄い紙なんて賭けているはずもありません。多分プライドとかそんな感じのものを賭けていたのでしょう、多分。
しかしそんな男たちの中でKちゃんだけは賭けていませんでした。
とはいえ私たちも毎回毎回(プライド的な何かを)賭けていたわけではありませんし、Kちゃんが賭けないことにも何の不満も御座いません。だからこそ私たちはKちゃんを友達として、遊び相手として歓迎しておりました。
しかし逆に言えばそこまで。
決して仲間にはなれません。
何故ならば仲間とは、リスクを共有した者たちであるからです。
死ぬときは一緒だぜ
名探偵コナンの映画「時計仕掛けの摩天楼」はコナンの最初の映画として作られたことだけはあり、最後の最後までハラハラさせてくれる展開が魅力的でした。
流石にもう20年以上も前の映画なのでネタバレをさせて頂きますが、犯人が逮捕されたと思ったら、実はまだ犯人の仕掛けた爆弾が残っていて、しかもその建物には蘭がいる。というか蘭の目の前に爆弾があるという展開で御座いました。
さてコナンこと工藤新一は爆弾を止めるためにその建物に急行し、扉越しに蘭に爆弾の解体を指示します。しかし最後の最後で犯人はフェイクを隠しており、爆弾を止めるには赤か青のどちらかの線を切らないといけないという状況になってしまいました。
というわけで最後の選択は蘭に託されたのです。
このとき新一が蘭にかけた言葉こそが「死ぬときは一緒だぜ」
もしも新一が現場に行かずに電話越しでこのセリフを言っていたら、それはもう全く説得力がなかったことでしょう。爆弾が爆発しても死ぬのは蘭だけで新一は死なないのです。
そうにも関わらず、それこそ逃げようと思えばいくらでも逃げることができるにも関わらず、新一がその場にいたからこそ「死ぬときは一緒だぜ」というセリフに説得力が出てくるのです。
新一はリスクを負った。失敗すれば蘭と一緒に死ぬというリスクを負った。
さて、Hさんの話に戻りましょう。
HさんとSさんの関係が険悪になったのは、客観的に見てもHさんが露骨にSさんを嫌っていたのがきっかけて御座いました。人当たりの良いSさんは寡黙なHさんにも積極的に話しかけていましたが、Hさんはそれに対して良い反応を返さなかったのです。
業界の先輩にこんなことをいうのも失礼な話ですが「そりゃまぁ嫌われるし険悪になるよね」というのが私の率直な感想で御座います。
とは言えHさんにはHさんなりに言い分はあることでしょう。当時の私は「寡黙なHさんに話しかけるから、HさんはSさんのことを嫌いになった」とばかり思っていましたが、実は必ずしもそうではないのではないかと気がついたのです。
事実デムーロの夜以来、私がHさんに話しかけてもHさんは露骨に嫌な顔をしておりません。つまりHさんは喋るのが嫌だったのではなく”Sさんと喋るのが嫌”だったのです。
それではSさんと私に何の違いがあったのか。
それこそがリスクを負ったかどうかということで御座います。
Hさんは競馬大好き人間。ヤクルトも好きですが、野球がオフなときは競馬のことばかり調べていました。
おそらく人当たりの良いSさんはHさんに競馬の話を振ったのでしょう。競馬について全然知識がないなりに、Hさんと話そうと競馬の話を振ったのだと思います。そんな場面を何度か見た記憶も御座います。
しかしそれならば私も同じはず。私も競馬に関しての知識は全くなかったのです。
では私とSさんの違いは何か。
リスクを負ったかどうかというその一点に尽きるでしょう。
つまり馬券を勝ったかどうか。
勝負に勝ったときはどちらにもメリットがある代わりに、負けたときは共に死ぬ。そういう価値観で生きている人間はそういう価値観の人間しか信用しません。
競馬には予想屋という人たちがいるのですが、彼らが基本的に嫌われるのも同じでしょう。
競馬の予想はするくせに、何のリスクも負わない彼らは決して仲間ではないのです。
どれほど正確に予想をしようが、どれほど良い馬券を見つけようが、リスクを負わない者は仲間ではなく便利な道具に過ぎません。船が沈没した時に真っ先に逃げるような人は決して仲間とは認めてもらえないのです。
一方で大して競馬の知識がない私でも、Hさんと一緒にリスクを負ったからこそ仲間として認めてもらえたのでしょう。素人の意見でも、仲間の意見だからこそ「それは違う」と聞いてもらうことが出来たのです。
Kちゃんもそうでしょう。
「負けたらプライド的な何かを失う」というリスクを共有して戦っていた男共は、お互いに良き宿敵として仲間になれたのです。しかしそのリスクを負わないKちゃんはどれだけ仲良くなっても「友達」に過ぎなかったのです。
お情けで構ってもらえることはあっても決して仲間になることは出来ない。それは彼女が女だからでも、ゲームが下手だからでもなく「リスクを負っていなかったから」だったからなのではないでしょうか。
それと最後に1つだけ。
競馬と自転車とヤクルトスワローズが大好きな勝負師のHさんは、女性で御座います。
リスクを負わない限り、いつまでもお客様
出来ることならば、リスクなんて負いたいものではありません。
しかし世の中にある組織のほぼ全てはリスクを負った者同士が結託して作り上げたものなのです。
そんな彼らの仲間になるためにはリスクを負わなくてはなりません。リスクを負わない限り、どれほど有能であったとしても「お客様」や「便利なコマ」にしかなれないのです。
そう考えて世の中を見渡してみると、この世界の嫌われ者は大抵リスクから遠いところにいる人物であると気がつきました。
「100人中102人は銀行員を嫌うはずだ」
「だが理由は言えない」
『リーマンブラザーズ 最後の4日間』の映画の冒頭の問いかけの答え。
それはまさにリスクが原因でしょう。
銀行員はリスクを取らず、誰よりも早く沈む船から逃げ出すから嫌われる。
リスクを取らない限り、決して仲間にはなれない。
これは銀行員に限った話では御座いません。
一緒にいるのに何故か仲間扱いされないという経験は誰でも一度くらいはあることと思いますが、もしかしたらそれは人間性でも能力でも性別でもなく、リスクこそが原因の可能性もあるでしょう。
”仲間になりたいのであれば”その組織が抱えているリスクを自分も負わなくてはならないのです。それが出来ない限り、どれほど仲良くなったとしても「友達」や「便利な人」にしかなれず「仲間」になることは出来ません。
大学時代、Kちゃんが私たちに感じていたであろう疎外感の原因はまさにこれなのです。
彼女と遊ぶと楽しい。だから友達ではある。
彼女はボドゲが上手。だから楽しい遊び相手ではある。
ですが、彼女はリスクを負わない。だから仲間にはなれない。私を含めた男共が仲間だった中で、彼女だけは仲間ではなかったので、彼女は疎外感を感じていたのでしょう。
なにも博打を打てとか、金を賭けろと言っているわけでは御座いません。
「リスク」
ときにはプライドを賭けていることもあるでしょう。
新しい事業として金を出していることもあるでしょう。
それこそ映画のコナンのように命を賭けていることもあるでしょう。
しかしいずれにしてもリスクを負っている組織に仲間として加わりたいのであれば、そのリスクを自分も負担しなくてはならないのです。
どれほど有能だろうが、良い人だろうが、可愛かろうが。
リスクを共有しない人間は友達止まりで仲間にはなれない。
銀行員の父が稼いだ金で行くことが出来た大学で、私はそれを学べました。