【ご質問】
私はよく友人から「自立している」「考えが大人」「強い女性」などと言われることがあり、いわゆるメンヘラとは程遠い位置にいる思います。(ある程度自分や相手のことを客観的に見ることができ、考えてから行動することが多いからだと思うのですが、、、。)
ただ今気になっていて何度かデートしている人が過去メンヘラと付き合うことが多かった、メンヘラは嫌いじゃないと言っていました。
そういった人とは相性が良くないのでしょうか。それともメンヘラになれるよう努力した方が良いのでしょうか。そもそもメンヘラというものは、なろうとしてなれるものなんでしょうか。
【回答】
ご質問誠に有難う御座います。
ナチュラルメイクではあるものの、どう見ても化粧をしている女性を見て「すっぴんも可愛い!」というようなことを言っている男性を見たことが1度くらいはあることでしょう。
つまりはそういうことで御座います。
男性が言う「〇〇が良い」は必ずしも当てにならないのです。
私が高校生の頃にヤンデレ三部作とでも言うべき『ひぐらしのなく頃に』『未来日記』『SchoolDays』の三作品が人気になったため、当時は「ヤンデレな女の子と付き合いたい!」と口にする男性が大量生産されました。
しかし言うまでもありませんが、彼らが好きなのは「フィクションのヤンデレ」であり、実際にそんな人物がいても決して好きになることはないでしょう。
どう考えたってヘラヘラした顔で「ヤンデレも可愛いよなぁ〜」と言っている男性が、病気にかかってたとは言え実の姉を含め何人も殺すような女性や、10分ごとに相手のことを日記につける上に平気で人を殺すストーカーや、誠死ねを好きになるはずがありません。好きとか嫌いを語るより前にドン引きして、迷うことなく110することでしょう。
ですので今回の男性がよほどの変人でもない限り、彼が言っている「メンヘラ」は、せいぜい「ちょっと寂しがり屋」程度の話だと思います。少なくとも夜中に包丁を片手に会いに来る彼女や、ODして手首に傷をつけまくる姿を見て「好き!!」とはならないことでしょう。
「ナチュラルメイクが良い」と言っている男性の本心が「元々可愛い子が良い」であるように、「メンヘラが良い」と言っている男性の本心はせいぜい「甘えん坊でちょっと寂しがり屋な子が良い」くらいなもので御座います。
そもそも論として努力をしてメンヘラになれるかどうかすら怪しい話では御座いますが、仮に努力でメンヘラになれるとしても彼の望んでいるものはご質問者様が考えていたようなメンヘラでは御座いません。
好みの違和感
今回の男性が言う「メンヘラは嫌いじゃない」というのは、いわゆるリスカをしたりストーカー紛いの行動をする女性のことではなく、ちょっと寂しがり屋だったり甘えん坊だったりす女性が好きという程度の話でしょう。
そのこと自体は何の問題も御座いません。彼が甘えん坊好きだろうが、寂しがり屋好きだろうが、それこそガチガチのメンヘラ好きだろうが、それは本人の好みの問題なので特に問題はないでしょう。
しかし過去の彼女たちのことを「メンヘラ」と呼ぶことについては少し気になりました。
もちろん結果として別れているわけですから、元カノたちに対して少なからず思うところがあるのは当然のことでしょう。しかし思うところがあるにせよ、昔の恋人の悪口を言う人が個人的にはあまり好きではありません。
彼にどんな事情があったのかは分からないので、これだけで「クズ男だ!」なんて乱暴なことは言いませんが、思うところがあるにしてもわざわざそれを口に出すのはあまり褒められたことではないでしょう。
また「メンヘラは嫌いじゃない」という言い回しも気になりました。
仮に彼がメンヘラ大好きだったとして「僕はメンヘラが大好きです!」と言うのであれば良いのです。しかし「メンヘラは嫌いじゃない」という言い回しは「本来男性が敬遠するような女でも俺は受け入れられる」という上から目線のニュアンスを感じました。
もちろんこれはほとんど言いがかりのようなものでしょう。
ですので私はこのことで彼のことを問題があるとか、ヤバいからやめとけと言うつもりは御座いません。
仮に彼が女性を下に見ているような男性だったとしても、相手がそういう男性を好む女性と付き合って本人たちが幸せであるのならば私は何の文句もないのです。
ただ自称でも他称でも「自立している」「強い」「大人の女性」であるはずのご質問者様がどうしてそのような男性に心惹かれているのかが気になりました。
自立している女性と、自立していると言われる女性
ご質問者様はご友人様たちから「強い女性」「自立している女性」「考え方が大人」と言われることが多く、ご自身でもそう感じているようですが、ご質問文を読む限りで言えば、私はそのような印象をほぼ全く受けませんでした。
まず1点目の理由が相手の男性で御座います。この男性が悪いとかクズと言うつもりは全く御座いませんが、どうにも自立している女性が好むタイプの男性ではないように感じました。
また努力でメンヘラになれるかどうかはともかく「好きな人に振り向いてもらうためにメンヘラになろう!」とする発想自体があまり「大人の考え」とか「自立した女性」とか「強い女性」という言葉のイメージと合致しません。
むしろ今回のご質問文で私が感じた印象は「良い意味でも悪い意味でも物凄く真面目な優等生」で御座います。
それが悪いという意味では全くないのですが、優等生はどちらかと言えば子供の考えの持ち主でしょう。優等生というのは「大人の言うことをよく聞く子供」であって大人ではないのです。
繰り返しになりますが、それが悪いとかダメと言う気は全く御座いません。大人っぽい考え方をしているから偉いわけでもありませんし、子供っぽい考え方をしているから偉いと言うわけでもないのです。
ただご質問者様が自身に感じているイメージと、実際のご質問者様に少なからず解離があるような気がいたしました。
ご質問者様は大人の考え方をしているわけでも、自立しているわけでも、強いわけでもないのに、周囲の友人からそう言われてそれを真に受けて自分自身がそうであると思い込んでしまってはいないでしょうか?
もちろんこれら全てが私の勘違いの可能性も十分に御座います。もしも私の勘違いならば適当に聞き流して「こいつ分かったような口ぶりで語ってるくせに、何にも分かってねえ」と笑い飛ばして頂ければ幸いです。
問題なのは私の勘違いではなかった場合。
正直なところ、今回の男性の話なんてどうでも良いのです。「メンヘラも嫌いじゃない」なんて言葉は「ナチュラルメイクが良い」くらい当てにならない言葉なので特に気にする必要もないでしょう。
そのような話をするために今回の記事を書かせていただいたわけでは御座いません。
私がこの記事を書かせて頂いたのは、ご質問者様が周囲からの言葉を真に受けて、知らず知らずのうちに本当の自分と解離した自分を演じ、それが本当の自分と思い込んでいないかが不安だったからで御座います。
もちろんいつだって本当の自分でいられるほど、世間は私たちに優しくはありません。ですので時には本当の自分と解離したキャラクターを演じる必要もあるでしょう。
しかし「演じている」と分かって演じるのと、演じていることすら分からなくなってしまうのには大きな差が御座います。生きていく上で時には演じることが必要なのは間違いありませんが、演じ続けたまま生きられるほど人間は強い生き物では御座いません。
背伸びをしていないでしょうか?
気が許せるはずの友人の前ですら、泣き言を言わない「自立した強い女性」を演じていないでしょうか?
「自立しているね」とか「大人だね」とか「強いね」と誰かを褒められることが悪いことだとは言いません。まして「自立した女性」や「強い女性」が悪いだなんて口が裂けても言いません。
私がお伝えしたいのは、そういった褒め言葉のせいで、友人の前ですら泣き言1つ言わない自分を演じていないかということで御座います。
現実と解離したキャラクターを演じ続けていないかということで御座います。
そしてそのギャップのせいで苦しんでいないかということで御座います。
差し出がましいことは重々承知しているのですが、「自立している」「強い」「考えが大人」というご質問者様が周囲から言われているイメージが、本当の自分の姿と合致するのかを考えて頂ければ幸いです。
私はご質問者様の本当の姿を知りませんが、本当は大して強くもないし、弱音も吐きたいし、ましてや自立なんて到底出来ていない方なのではないでしょうか。
いつも強い人である必要なんて御座いません。
時には弱音は吐いても良いでしょう。
まして自立なんかしなくて良いのです。
自立してるなんて本気で思い込んでいる人は、たいてい人から支えられていることに気がつかない恩知らずなのですから。
そうそう、最後に本当にどうでも良い蛇足では御座いますが、元カノのことを悪く言う男は個人的にあまりオススメできません。彼の話は少ないので断言はしませんが感覚的にはダメそうな気がします、感覚的では御座いますが。