エマ・ワトソンの美学
ハリーポッターのハーマイオニー役で有名なエマ・ワトソンさんは整形についてこのように語っています。
私の歯は完璧じゃないし、小枝みたいに痩せてもいない。でも、私は自分の体に満足して、それを愛してると表明できて、どこも変えたくないと思うような人間でありたいわ。(自分の見た目を愛することが)あり得ない目標だなんてばかげているわ。本当に成功した女優というのは自分のありのままの姿を心地よく感じている、人間らしい人物だと思う。 ELLE ONLINEより引用
確かに人間誰しも自分の体にコンプレックスがあるもので御座います。自分の見た目を愛することが何よりも重要であり、ありのままの自分を愛することこそが人間らしい姿であると言えるでしょう。
なんてことを平気で言えるほど、私は酷な性格をしておりません。
この発言を言ったのがエマ・ワトソンさんでさえなければ、まだ説得力はあるかも知れませんが、少なからず顔の良さで大きな恩恵を受けている人間のこの発言はもはや「パンがなければケーキを食べれ良いじゃない」レベルの話ですらあると私は思います。
皆様もこう思うのではないでしょうか?
「私もエマくらい可愛かったら、整形なんて考えない」と。
もちろんエマ・ワトソンさんだって自分の顔に文句の1つや2つはあることでしょう。歯が完璧ではないようですし、小枝のように細くもないそうです。
しかし、エマさんの苦悩は整形を真剣に考える女性のそれとは比較になりません。少なくともエマさんは「顔で損をしたこと」はほとんどないことでしょう。どう考えたってエマさんは「顔で得をしたことが多い側の人間」で御座います。
私は映画業界に明るくないのでエマ・ワトソンさんの演技力がどの程度のものなのかは知りませんが、仮に彼女の演技力が世界最高峰であったとしても、彼女があの美貌を持って生まれなければ少なくとも彼女がハーマイオニーになることはなかったでしょう。それどころか一生銀幕に上がることすら無かったかも知れません。
もちろん美貌を持って生まれてしまったからこその不満や不幸もあることとは思いますが、彼女が「女優になりたい!」と思ったときに、そのチケットが手元に存在したのは間違いなくその美貌のおかげでもあるのです。
ここから先は私の想像になりますが、恐らくエマ・ワトソンさんは「女性が美で評価される世界なんて間違っている」ということを主張されたいのでしょう。
その考えが正しいか間違っているか、私は興味がありません。
重要なのは今この瞬間の世界は間違いなく少なからず美で評価される世界(これは女性に限った話ではない)であり、それに苦しんでいる人がいるということ。
「美で評価されるべきではないから、みんなも女性を内面で評価して!」なんて理屈で世界の意思が変わるのなら「人の命は大切だから、殺人はすべきではない」という理屈でこの世から犯罪をなくしてほしいものです。
もちろんその目標を掲げること自体は否定致しませんが、私は眼の前にコンプレックスを抱え苦しんでいる女性がいたら「人は内面だよ!」なんていう現時点では理想論でしかない夢物語を語りたくはありません。
整形は怖い
私は整形をしたことがありませんが、例えば二重手術などは話を聞いただけでも恐怖を覚えます。
やり方は色々とあるようですが、基本的にまぶたに何かしらのメスを入れるか針を通すかが必要なのです。
いやいやどう考えても怖いでしょう。
私は今のところ整形をするつもりは御座いませんが、もしも整形を考えていたら高確率で尻込みしてしまう自信が御座います。
おそらく女性でもこんな方は多いのではないでしょうか?
「整形に興味はあるけど、ちょっと怖い」
手術が怖い。
実際に上手くいくかどうか怖い。
手術後に変な副作用が生まれないか怖い。
値段に見合った効果なのか分からなくて怖い。
人から嫌われないか怖い。
みんなからバレないか怖い。
歳をとってから顔が崩れそうで怖い。
整形は色々と怖いのです。そしてその恐怖を克服できた方だけが整形を受けることが出来る。
皆様はイソップ物語の「すっぱいぶどう」という話をご存知でしょうか?
お腹を空かせた狐は、たわわに実ったおいしそうな葡萄を見つけた。食べようとして懸命に跳び上がるが、実はどれも葡萄の木の高い所にあって届かない。何度跳んでも届くことは無く、狐は、怒りと悔しさから「どうせこんな葡萄は酸っぱくてまずいだろう。誰が食べてやるものか」と負け惜しみの言葉を吐き捨てるように残して去っていった。 酸っぱい葡萄-wikipediaより引用
人間は自分が得られなかったものに対して文句を言うものなのです。
恐らく多くの女性は整形に興味があるものの、その恐怖から整形を断念している。これは美味しそうなブドウを食べることが出来なかった狐と同じ状況です。
もちろん最初から全くブドウに興味のない女性もいらっしゃるかとは思いますが、決して少なくない女性がイソップのキツネのような状態でしょう。自分は恐怖のせいで食べることの出来ないブドウを食べようとしている方がいれば、邪魔をしたくなると言うものなのです。
また女友達は女友達である前に「身近に存在するメス」でもあると言うことも忘れてはいけません。
男同士がオス同士として争うのと同じように、身近なメスが今より可愛くなることはメスにとって都合の良いことでないのです。
自分の身近なメスが今より可愛くなってしまったら、自分の彼氏が奪われてしまうかも知れない。本来なら自分のことを好きだったオスが、そっちに心変わりしてしまうかも知れない。
基本的に身近なメスが可愛くなることは、メスにとって不都合なのです。
もちろん理性的に「友達の幸せ」を応援してくれるかも知れませんが、少なくとも本能的には身近なメスの魅力が上がることをメスは良しとしません。