現代結婚の悲劇
具体的に誰とは言いませんが、今日の芸能界もまた高齢結婚の話題に尽きません。
また芸能人でなくともネットを見回せば「50歳で結婚しましたが幸せです!」というような高齢結婚も幸せになれるというコラムに溢れかえっております。
この「高齢結婚を肯定する風潮」
これこそが結婚の悲劇でしょう。
「まだ大丈夫だ。」と思ってしまうのです。
実際問題として、大丈夫か大丈夫じゃないか、なんていうことはどうでもいい話。
「まだ大丈夫だ」と安穏した人間に成功はない、と言いたいのです。
本当に「まだ大丈夫」な人が、この言葉を聞くことで「まだ大丈夫ではなくなってしまう」のです。
危機感がない人間に、成功はない、と言いたいのです。
もう時間がないと考えることがない人間に、決断はできないと言いたいのです。
端的に言って、この世界に存在するほとんどの人間は追い詰められないと決断をすることが出来ません。
肺がんで余命1年と言われなければ、禁煙ができない。
会社をクビにならなくては、転職活動ができない。
「晩婚でも幸せになれるよ!」と伝えることは、人を追い詰めることの真逆を走る選択です。
もし、結婚させたいのであれば、ある程度追い詰めなくてはいけません。
「10年後に結婚しても大丈夫だ!」と甘やかされた人間は10年後も「10年後に結婚しても大丈夫だ」と言い張るのです。
そもそも現代は別に結婚しなくてもいいじゃん!と言う理屈
私のここまでの理屈は全て「現代を生きる結婚をしたい女性」に向けたもので御座います。
しかし、必ずこういう反論があることでしょう。
「結婚なんて時代遅れだ!今は結婚しなくてもいい時代だ!」
素晴らしい意見だと思います。
私も全面的に同意させて頂きたく思います。
その上でこう言いましょう。
「結婚こそが幸せだ。女性にはそれ以外に幸せの道は存在しない」と。
確かに「結婚しなくてもいいんちゃう?」という意見は正しいと私も思います。
ですが「この意見を主張する」ということに対しては一切の意味を私は見出しません。
こういうと判りやすいでしょう。
「学校の勉強なんてしなくても、社会でやっていける」
この言葉に私も同意します。別に勉強しなくても、社会でやっていくことは出来るでしょう。特に自分で勉強をしてしまうタイプの子供にとって、学校の勉強は必ずしも必要では御座いません。
ですが、この言葉を「子供」に伝えることは私は賛成しない。
この言葉なんて聞かなくとも自分で勝手に勉強している子供でなければ、学校の勉強をした方がいいと、私は思っているから。
この正しい理屈を伝えたところで「勉強しかできない子供」を「勉強すらできない子供」に変えるだけだから。
これと同じようなことを私は「結婚だけが人生じゃない」という言葉には感じています。
「結婚だけが人生じゃない」
という言葉は確かに正しいのですが、この言葉を聞いて幸せになれるのはそんな言葉を聞くまでもなく、そう思っている女性だけだと思っているからで御座います。
ですので、結局のところこの言葉を「伝える」ことにはあまり意味がない。
正しい理屈を伝えることは必ずしも正しいことではないとお伝えしたいのです。
その女性が「結婚こそが幸せだ、という理念を捨てることが出来ない女性」であるのならば、その女性には「早く結婚しろ、それこそが幸せだ」と追い込む言葉をかけた方が幸せである。
私はそう考えているのです。