罰なき罪に価値はない
例えば日本で人を殺すと、殺し方にもよりますが、基本的には刑法199条の殺人罪で裁かれることになります。
第199条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは5年以上の懲役に処する。
つまり、人を殺すと最低でも「懲役5年にします」ということですが、これがもし「人を殺したらダメだけど、特に罰しないよ」という法律であったら、一体誰が守るというのでしょうか?
こんな法律でも人を殺さない方は、法律など関係なく人を殺しません。
法律において重要なのは「法律がなければ罪を犯しそうな人間に対して、罰を伝えることで思いとどまらせる」ということなのです。
罰がなければ法律の意味なんて御座いません。
さて、ここでクリスマスケーキ論について考えて見ましょう。
クリスマスケーキ論を法律風に言うと
25歳(最悪でも26歳)までに結婚しなさい。もし、結婚しないのであれば「2度と結婚できない義務」と「売れ残りと呼ばれる罰」を課します。
ということ。
おいおい随分と時代錯誤なことを言い出すなぁ、と感じた方もいらっしゃることでしょうが、人を動かすためには罰がなくてはならないこともあるのです。
「褒めて動かすのが最高だ!」と心理学者は言いますが、この考え方には致命的な欠陥が2つ御座います。
1つ目は、褒めると堕落する人間もいるということ。
締めるとこは締めないと人間は堕落をしてしまう生き物なのです。
しかし今回の話に関して言えばこちらの点はそこまで重要ではありません。
重要なのは2つ目。
「人を動かすように上手に褒めることが出来る人間」が圧倒的に足りていない、ということで御座います。
「褒めて伸ばす」という方法は極めて非現実的な話なのです。
もしも上手に褒めることが出来る人間がたくさんいるのであれば「褒めて動かす」という方針で社会を律しても良いでしょう。
ですが、現実として「褒め上手」は明らかに足りていないのです。それは皆様も実生活で少なからず体感されているのではないでしょうか?
叱ることは難しくありません。ただ相手の悪いところを指摘すれば良いのです。
一方で「褒める」というのは非常に難しい。これは誰でもそう簡単に出来ることでは御座いません。
つまり「褒め」で社会を律しようとするのは「万能で全能で、正義に溢れ、バランス感覚があり、カリスマ性があり、決して狂わず、決して間違えない優秀な人間がいれば、独裁主義こそが最善である」と言っているのと何も変わらないのです。
確かに理想的は御座いますが、残念ながら現時点では”非現実的”であると言わざるを得ません。