コラム

きのこの山・たけのこの里総選挙をやるべきではないと思った話。

きのこ派かたけのこ派か。

これが日本人を二分する超重要命題であることは誰の目にも明らかでしょう。

たけのこ派がきのこ派を「売上で負けてるくせに何いってんの笑」とバカにすれば、きのこ派は「チョコレートの含有量が少ないのにたけのこを選ぶやつはバカ。味覚が子供笑」と応戦をする。

そんな血で血を洗う戦いが繰り広げられていた「きのこたけのこ論争」がこの度、国民総選挙なる形で決着がつくことになりました。

選挙の締切は2018年7月31日。まだ締切まで時間は御座いますが、現時点(5月16日)でたけのこ派の優勢はあきらか。順当に行けばたけのこ派が勝利をすることでしょう。

そんな選挙で盛り上がる中、私は声を大にして言いたいのです。

この選挙は人を幸せにしない、と。

富士山何県問題

さて、読者の皆様の中に「山梨県」もしくは「静岡県」にゆかりのある方はいらっしゃいますでしょうか。

お伺いします。

富士山は何県のものですか?

ご存知の方も多いかと思いますが、結論から言えば富士山山頂付近は境界未確定地域で御座います。つまり山梨県と静岡県のどちらに属しているのかがはっきりしていないエリアなのです。

さて、この問題ですが今日の段階では解決する見込みが御座いません。

正確に言えば解決させる気がないのです。

 

というのもこれまでにも何度か「富士山の山頂をどっちにしようかはっきりさせよう問題」は発生していましたが、その論争は未だに解決しておりません。

正確に言えば少し変わった形で解決をしているのです。

1951年、山梨県知事と静岡県知事はこの問題について会談を行いました。

さて、この両県トップによる会談の結果は……

……

…………

………………

「決めない」と決めたのです。

決めても得をしない

私の母親は静岡の出身なので、我が家では富士山は静岡のものであると断言されおりました。

母曰く「富士山が静岡県のものであるのは明らかであり、そもそも「どちらのものか」という議論すら理解しがたい。確かに海のない山梨県が富士山に縋る気持ちは分かるが、それにしても富士山山梨説はあまりにも無理のある説である。」とのこと。

この理屈は静岡出身の私の母親のものであり、恐らく山梨の方は山梨の方で「お札に写っている富士山は山梨側である。また富士山に登頂する方のほとんどは山梨側であり、山梨が富士山を支えているのは明らか。静岡の意見は舞台を見る観客の意見であり、富士山という役者が山梨のものであるのは明らか」的な意見を仰ることでしょう。

さて、現在のように富士山の境界を明確にしない場合、静岡県も山梨県も「富士山は自分のものだ!」と主張をすることが可能です。

それに付随して様々な富士山関連のお土産を作ったり、色々な面でプラスが生まれていると言えるでしょう。

しかし、もしも国が明確に「富士山は〇〇県のもの」と断言してしまったらどうなるでしょうか?

さすがに国が言ってしまったら、無いと言われてしまった県は富士山の所有権を主張できません。自尊心は大きく傷つけられ、所有権を得た県に対して強い憎しみを抱くことでしょう。

さらに産業面でも明確にデメリットが発生してしまいます。

例えば富士山関係のお土産が多数並んでいる双葉サービスエリア(山梨)と富士川サービスエリア(静岡)のどちらかは大打撃を被ることでしょう。

一方で境界をあやふやにしている場合、どのような問題が発生するでしょうか?

そもそも県境をしっかりと決めなくてはいけない理由は「住所」や「税金」などの問題が発生するから御座います。しかし富士山頂に登記をしている法人は無いでしょうし、富士山頂を住所にしている方もいないでしょうから、富士山がどっちの県であったとしても大した問題は発生しないのです。

またこれが県境ではなく国境であれば侵略やら地下資源の問題などもあるでしょうが、静岡県が山梨県に宣戦布告することはないでしょうし富士山の中腹にサクラダイトなる謎の鉱物が見つかる気配も御座いません。ですので、この点についても重要ではないのです。

つまり富士山の山頂の県境を明確にするメリットは、富士山の県境を明確にするデメリットに比べてはるかに小さいのです。そのため県知事は「決めない」ということを決めたのでしょう。

この決定は後に富士山本宮浅間大社問題という問題を発生させましたが、この問題が発生しても尚、「決めない」という決断を両県は撤回しませんでした。

その結果、事実上政府も「決めない」という決定に即した判断を下すことになります。

富士山本宮浅間大社問題 最高裁昭和49年4月9日

さきほど富士山山頂に住んでいる方などいないと申し上げましたが、住んでいる方がいないとは言え富士山山頂に建物は存在致します。

この地図にある「富士山本宮浅間大社 奥宮」がこの問題の中心地。

さて、実は江戸時代を通じて富士山は浅間大社のものになっておりました。これは慶長7年に徳川家康から寄進されたことが理由になっております。

しかし江戸幕府が倒幕され明治新政府になると事情が変わりました。

明治新政府は全国の神社の土地を全て没収し、その土地を神社に貸すという形を取ったのです。

この方法は第二次世界大戦が終結するまで続きましたが、戦後日本の憲法が新たに制定されたことで大きな問題を抱えることになりました。

これまでは日本政府が神社に土地を無償で貸していたのですが、政教分離の考えから「国が神社に土地を貸すってマズくない?」という話になったのです。

そこで日本政府は神社に貸していた土地を無償で返却することにしたのですが、ここで富士山本宮浅間大社の問題が発生しました。

 

さて、土地を贈与するためには「登記」が必要です。登記とは簡単に言えば国が「この土地は〇〇さんのもの!」と証明する書類を作成することで御座いますが、この書類はざっくり2つの要素が必要になります。

それは「土地の場所(地番)」と「所有者」

この問題の場合「所有者」は浅間大社で確定をしていました。

問題なのが「土地の場所」で御座います。

県境が決まっていないということは「住所(正確には地番)」も決まっていないということ。

つまり富士山山頂を登記しようと思っても、そもそもその土地の名前が決まっていないのですから登記のしようがありません。

このときの状況をまとめましょう。

このような状況であったため寄贈が遅れ、最終的にこの土地が寄贈されるまで30年ほどかかりました。

結果として富士山は境界未定地域のまま寄贈をされたのです。

境界未定地域のまま寄贈するということは、登記をせずに寄贈をするということ。

これはかなり異例な判断ですが、今の所この方法で問題は発生しておりません。

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