【ご質問】
どうしたら苦手なものを悪印象少なく「苦手」と伝えられるか、アドバイスいただけないでしょうか。
私は動物が苦手です。別に憎んではいないと思いますが、関わろうとは思いませんし、きっと動物園に行っても楽しめないだろうなと思うくらいには好きじゃないです。怖いとも思います。
マッチングアプリでメッセージをやりとりしてる方に「動物は好きですか?」と訊かれたので「怖がりなので見る専門。剥製も怖い」と答えましたが、どう答えれば感じが悪くなく伝えられたでしょうか。
苦手なものは少ないに越したことはないと思いますが、恐らく好きになることはないと思います。また、克服したいと思っているわけではないので「苦手だけど頑張る」というのは嘘になります。
また、子どもも同じような感じで苦手で、動物と子どもが苦手なんてすごく冷たい人のように思われそうで悩んでいます。
勝手ばかり言う質問で申し訳ありませんが、アドバイス頂けましたら幸いです。
よろしくお願いします。
28歳女性 恋愛経験なし
【回答】
ご質問誠に有難うございます。
まず最初に、私は動物も子供も好きであるとお伝えさせて頂きます。これご質問者様に私の立場を示すのと同時に、この言葉を言わなければこのお悩みに回答できないという理由も御座います。そして「この言葉を言わなければ回答もできない」ということこそ、ご質問者様のお悩みの最も重要な部分になることでしょう。
さて、ご質問者様は「3B」という言葉をご存知でしょうか。
「付き合ってはいけない男の3B」を想像されたかも知れませんが、今回はその3Bでは御座いません。またバグダット、ベルリン、ビザンティウムを想像された歴史好きの方にも申し訳ありませんが、その3Bでも御座いません。
今回お話しする3Bは広告業界で使われている3Bで御座います。
美人(Beauty)
赤ちゃん(Baby)
動物(Beast)
広告業界ではこの3つをまとめて「3B」と呼ぶそうで御座います。
「広告を作る際にはとりあえずこの3つのどれかを入れておけば、視聴者に好印象を抱かれやすい」と言われており、一般的なCMにはこの3つのどれかが高確率で入っております。今後、テレビやネットで広告を見る際にはこのことを気にかけてみてくださいませ。どれほど多くの広告に3Bが使用されているかご理解いただけることでしょう。
さて、今回ご質問者様は3Bのうち、実に2Bまでもが苦手とのこと。私はそれが悪いことだとは全く思いませんが、少数派なのは間違いありません。なにせ広告業界の3Bにそれらが該当しているのは、たいていの人間が赤ちゃんや動物に好印象を抱くからに他ならないからで御座います。
動物と子供はたいていの人が好きでしょう。そしてあまりにも多くの人が動物と子供を好いているため、多くの人は心のどこかで動物や子供が嫌いな人なんていないと思い込んでいる節があるのは否定できません。
だからこそ、ご質問者様が「動物と子供は嫌い」なんて言えば、それこそ頭のおかしな人物を見るかのような目で見てくることでしょう。「そんなことを言ったら冷たい人と思われるかも知れない」というご質問者様の予想は極めて正しいと言わざるを得ません。十中八九、ご質問者様の予想通りの反応を相手の方はすることでしょう。
これはもはや宗教と何も変わりません。
中世ヨーロッパで「神はいない」と言えば焼き討ちにあったのと同じように、現代日本で「子供が嫌い」と言えば焼き討ちにあうので御座います。動物もまた同じ。「犬派?猫派?」と飲み会で聞く方は両方嫌いな人間が存在していることを意識しておりません。
しかし非常に残念ながら彼らに理解を求めても無意味でしょう。
彼らは圧倒的多数派で御座います。数の暴力で殴られたら、ご質問者様に勝ち目は全く御座いません。
良いか悪いかは別にして、ご質問者様は異教徒なのです。まずはこの事実を受け入れなければなりません。非常に残念な話では御座いますが現代日本において動物と子供が嫌いだと、それだけで社会から孤立しかねないので御座います。
しかし、どうかご安心くださいませ。異教徒には異教徒の生き方というものが御座います。
話題に出さない
まず最も重要なことは話題にしないことで御座います。
昔から「政治、宗教、野球」の3つの話をするなという言葉が御座いますが、ご質問者様の場合はそれに「子供」と「動物」を加えるべきでしょう。その話題について話せば話すほど、ご質問者様の社会的評価は下がります。
無論、相手がその話題を切り出してくることもあるでしょう。そういう時は多少強引にでも話題を変える必要が御座います。例えばマッチングアプリのメッセージなら、1日ほどメッセージを放置して全く違う話題を出しても問題ございません。
明言しない
次に重要なのは明らかにしないことで御座います。
『アルキメデスの大戦』という漫画をご存知でしょうか。これは戦前の日本を舞台に数学者である櫂が活躍する話なのですが、その中の一幕、櫂とナイツドイツ経済大臣のヒャルマル・シャハトが交渉をしているシーンを紹介させて頂きましょう。
シャハト「そもそもどこからそれを手に入れるのですか? 入手するルートはあるんですか?」
櫂「それをお聞きになりますか?」
シャハト「え……」
櫂「入手ルートを私が言っていいんですか?」『アルキメデスの大戦』より
櫂の言う「入手ルート」というのはユダヤ人コミュニティのことであり、シャハトもそのことはほぼ察しています。しかし当時のドイツにおいてユダヤ人との取引など言語道断。つまり櫂が「ユダヤ人」という言葉を口にしてしまったら、シャハトはこの交渉を破談させるしかないので御座います。
だからこそシャハトはこの後、櫂の入手ルートについて言及しませんでした。99.9999%ユダヤ人のルートだと思っていても、聞きさえしなければ「知らなかった」ということにしておくことが出来るので御座います。
このような建前は重要でしょう。
おそらくご質問者様と一緒にいれば、普段の言動から「動物や子供が嫌いなんだろう」と察することになるはずです。しかしそれでもご質問者様が「嫌い」と明言さえしなければ、相手はそのことに触れずにいることが出来るでしょう。
だからこそ明言をしてはいけないので御座います。99.9999%相手が気がついていても、それでもそれを100%にしてはいけません。0.0001%を信じたいという気持ちを無碍にしてはいけないので御座います。
過去を盾にする
そして最後の方法は過去を盾にするというもので御座います。
私はエビアレルギーです。正確に言えばエビアレルギーだと思っています。さらに正確に言えば、おそらくエビアレルギーではないのですが、エビアレルギーだと思い込んでおります。この理屈を説明させて頂きましょう。
まず大前提として、私はエビが嫌いで御座います。臭いも味も食感も、その全てが嫌いで御座います。
しかし、どうにもこの国にはエビ好きが多く、エビが嫌いだという私にエビを食べさせようとしてくるのです。「本当に美味いエビを食べたことがないだけだ」だの「これを食べないなんて人生損している」だの、なんだかんだと言って私にエビを食べさせようとしてきます。
それを一々断るのも面倒ですし、何より角が立つのは避けられません。
そこで登場するのがエビアレルギー。
幸いにして、私は幼い頃に1度だけエビを食べて吐いたことが御座います。今となればもうその原因は分かりません。単純に体調が悪かっただけかもしれませんし、そのエビがたまたま腐っていただけなのかもしれないでしょう。しかし私はその唯一の事実を盾にして、いまだに自分をエビアレルギーだと言い張っております。
するとどうでしょうか。誰も私にエビを食べさせようとしてこないのです。アレルギーなら仕方ないといとも簡単に引いてくれるのですから、こんなに都合のいい話は御座いません。
さて、ご質問文からしてご質問者様は嘘を付きたくない方だと思いますが、どうか勘違いしないでくださいませ。私は嘘を1つも言ってはおりません。
過去、私がエビを食べて吐いたのは事実で御座います。そしてそれ以降、私は頑なにアレルギー検査を避けてきました。だからこそ、私がエビアレルギーなのかどうかは私を含め誰にも分かりません。
さらに私は「エビアレルギーです」とは言っていないのです。「昔、エビで体調を崩したことがあって、アレルギーかもしれない」と言っているだけであり、この言葉に嘘は1つも存在いたしません。
ご質問者様の28年間の人生を振り返ってみてくださいませ。
1回くらい何かの動物に噛まれた経験はないでしょうか。
犬でも猫でもネズミでも何でも構いません。記憶にないなら両親に聞いてみるのも良いでしょう。「そういえば2歳の頃に犬に吠えられて泣いてた」的なエピソードの1つや2つ出てくることと思います。
そのエピソードを盾にしましょう。不謹慎な言い方になりますが、子供の頃に犬にでも噛まれていれば最高で御座います。「そのせいか動物が怖くて」と言っておけば、少なくとも冷たい人とは思われません。
子供もまた同じで御座います。子供に噛まれた経験は……あまり無いかも知れませんが、子供が苦手になるのにこじつけられるエピソードの1つや2つ”作り出す”ことは出来るでしょう。
動物嫌いに人権なしの社会
私は今回の回答の冒頭で「動物も赤ちゃんも好きである」と書かせて頂きました、これを書かねば回答も出来ないと補足をして。
その理由を最後にお伝えさせて頂きましょう。
ご質問者様が仰る通り、現代日本で「動物が嫌い」なんて口にしたら、それだけで社会から抹殺されかねません。無論、焼き討ちにあうようなことはないでしょうが、社会的評価が大きく下がり、人間性を疑われるのは少なからず事実であると言わざるを得ないでしょう。
だからこそ、私は「動物も子供も好きである」と冒頭で書かせて頂いたのです。これを書かずに回答をして「もしかしてこいつは動物が嫌いなんじゃないか?」と少しでも思われてしまったら、その瞬間に私の社会的評価は落ち、何を言っても無駄になってしまう。
これがどれほど恐ろしいことか。その恐ろしさは、私よりもご質問者様がご理解されていることでしょう。
そこに理論なんてものは存在いたしません。まさしく「何を言っても無駄」であり、人権を剥奪されているようなもので御座います。
広告業界でどうして3Bが重宝されるのか、それはその3つが人間の感情に強く訴えかけるからに他なりません。逆に言えばそこに理論なんてものは存在せず、それらを否定することは感情的に絶対悪として断罪されてしまうのです。
それならば、動物や子供が苦手な人はどうなるか。
先ほどナチスドイツのユダヤ人虐殺政策の話をさせて頂きましたが、その政策の実質的な推進者はラインハルト・ハイドリヒという男で御座いました。彼はナチスドイツの高官としてユダヤ人を大量虐殺を指示した人物で御座いますが、そんな彼のあだ名は「金髪のモーセ」
モーセというのはユダヤ教の最重要人物で御座います。実はハイドリヒは常にユダヤ人説が付き纏っている人物であり、彼はその噂を払拭するかのように600万人のユダヤ人虐殺を指示しました。
動物が嫌いな方も、おそらくは彼と同じでしょう。
動物が嫌いであるにも関わらず、それを口にすることすら許されない。それどころかあたかも好きかのようなふりをし続けなければならないのです。その苦悩や苦痛がどれほどのものか。私には「わかる」と言うことすら許されないでしょう。
一度「動物と子供が嫌い」と口にすれば人格が疑われる。それが我々の生きる社会で御座います。
その制裁はもはや「ロリコン」と変わりません。どれほど偉大な人物であっても、ロリコンというレッテルが貼られた瞬間、全ての功績が否定されるのと同じように、動物が嫌いと口にすると圧倒的な軽蔑が与えられてしまうのです。特にご質問者様が女性であれば、その傾向は顕著でしょう。
そんな地獄のような社会の中で、ハイドリヒのように虐殺もせずに、あたかも動物が好きかのように28年間振る舞い続けているご質問者様に、どうして敬意を抱かずにいられるでしょうか。
イケメンではない男性なら、1度は経験したことがあるのではないでしょうか?
明らかにこちらが正しいのに、イケメンの「でも、なんか違うと思うんだよね」という論理性の欠片もない一言で、貴方が間違っているということになってしまったことが。
会社で働く女性なら、1度は経験したことがあるのではないでしょうか?
明らかにこちらが正しいのに、上司の「そうは言っても簡単じゃないんだよ」という具体性の欠片もない一言で、貴方の意見が全否定されてしまったことが。
「動物が嫌い」という一言を口にすることは、それをされ続けるということに他なりません。これを人権剥奪や地獄と表現するのは、そこまで大袈裟な表現でもないでしょう。
愚痴ることすら許されない。嫌いなものを好きかのように振る舞い続けることを強要され、嘘を吐き続ける。
そんな地獄に生きながら、それでもなお懸命に善良な市民として生きる方々にどうして敬意を抱かずにいられるでしょうか。
ご質問者様が心の冷たい方かどうかは私には分かりませんが、少なくとも「動物嫌いなんておかしい」と己の正義を疑わない人間よりは好感が持てることをどうかお伝えできれば幸いです。