【ご質問】
私の家庭と将来についてです。
母親は私が小学生の頃事故で、現在も車椅子で生活しています。
そのことについては悲観的に思っているわけでもなく、私の家では普通だと思っています。
母の介護をするために資格を取りました。この時までは何も疑いもせず母のことは私が全て支えると思っていました。
しかし28歳になり、周りが結婚していく中で本当にこのままでいいのだろうかと思い始めてしまいました。
現在お付き合いしている人がいます。私よりもだいぶ年上の人です。お互いそろそろ結婚を意識する頃です。
今までお付き合いしてきた人と同棲もデートも、母の通院や手伝いなどで断ってきたような人間です。将来結婚ももちろんする気なんてありませんでした。
ただ今の彼からプロポーズされたとして手放しで喜ぶことも、断ることも出来ない自分が想像できます。
私は何を捨てたらいいのでしょうか?
親から離れられない子供なのでしょうか?
彼に対して中途半端に接することしかできないのでしょうか?
自分のことなのに決められない自分にもそろそろ嫌気が差してきました。
もしよろしければ相談に乗ってくれると嬉しいです。
長文になってしまい、ごめんなさい。
ここまでお時間割いていただきありがとうございます。
お身体に気をつけてお過ごし下さい。
【回答】
ご質問誠に有難う御座います。
20年後か30年後か、はたまた40年後かは分かりませんが、ご質問者様のお母様が亡くなったとき、ご質問者様はおそらく4つの感情を抱くことでしょう。
1つ目の感情は母を失ったことへの悲しみ。
2つ目は肩の荷が降りたという安堵。
3つ目は自分のことを縛り付けた母に対する憎しみ。
そして最後の4つ目は自分のことを何もせずに歳をとってしまったことへの絶望で御座います。
半年も経てば、母を失ったことへの悲しみは薄まることでしょう。
お母様が何歳で亡くなるかは分かりませんが、あまりにも理不尽な死でなければ人は人の死に納得することが出来るのです。
1年も経てば、誰の介護もしなくていい生活への安堵感にも慣れることでしょう。
人は慣れる生き物なのです。母の介護で疲れた体も、1年もすればその生活に慣れることでしょう。
ですが、母に対する憎しみと自分への絶望感が消えることは、おそらく死ぬまで御座いません。
お母様が亡くなってからもご質問者様はあと何十年か生きなくてはならないのです。
母への憎しみと自分への絶望感に打ちひしがられながら、残りの人生を生きなくてはならないのです。
死んでくれてよかった
父方の祖母が亡くなった時、私と私の母の中に生まれた感情は「悲しみ」ではなく「安堵」で御座いました。
もちろん悲しみが全くないというわけでは御座いませんが、その何倍か安堵の気持ちが芽生えたのです。母を亡くした父の前では決して言いませんでしたが、私と母は「死んでくれて良かった」と密かに言葉を交わしました。
私も母も祖母のことを嫌っていたわけでは御座いません。祖母はボケていない頃から「妖精さんはいるのよ」と言うくらいのド天然で御座いましたが、とても優しい人で私も母も祖母のことを好いておりました。
しかし、それでも「死んでくれて良かった」と思わずにはいられなかったのです。
祖母はもともと生活力が低いタイプの方でしたが、歳を取り知力も体力も衰えてくるとその傾向が悪化。80歳になってもノートパソコンを買って来て「メモリが足りないから買い足した」と言って、スマホで撮った写真を加工してLINEで送ってくる祖父が存命の間はどうにかなっておりましたが、祖父がグランドゴルフ大会で3位になった後そのまま死ぬと、とてもではありませんが1人で暮らせるような状況ではありませんでした。
私の父と母は祖母の介護に奔放し、生活が狂い始めたのです。
父は会社を辞めることを決意し、母も時間を見つけては祖母の家に通いました。
特に父の狂気は凄まじく、祖母のために家を増築する計画まで立て始めたのです。
もう何年も生きないであろう人間のために数千万円かけて家を増築するなど狂気の沙汰としか思えません。ここでそのお金を使ってしまったら、自分たちの老後はどうするつもりなのかと母と私で説得をしましたが、なかなか父は聞き入れませんでした。
しかし本当に幸いなことに祖母は祖父がなくなって1ヶ月で亡くなりました。
父が書いた退職願が受理されるよりも、父が増築の契約書にサインをするよりも前に死んでくれたのは本当に幸運なことで御座いました。
そんな経緯があったからこそ、私と母は「死んでくれて良かった」と思わずにはいられなかったのです。もしも祖母が1年2年10年と生き続けてしまっていたら、おそらく両親だけでなく私の生活も破綻していたことでしょう。
とは言えそれでも私の家の場合はまだマシでした。
優秀過ぎる祖父が自分が死んだ場合のことを想定して色々と準備をしておりましたし、両親も決して貧乏では御座いません。そして何よりも祖母が介護1ヶ月で亡くなったのは本当に幸運なことだったのです。
もちろん実の母を亡くしている父はそんなことを決して口には出来ないでしょうが、心の中では「1ヶ月で死んでくれて良かった」という気持ちは少なからず芽生えていたことでしょう。
こうして私の家族は、祖母のことを嫌いになることなく祖母を見送ることが出来ました。
ですがもしも祖母が5年10年と長生きをしていたら、私達は祖母のことを好きなまま見送ることは出来なかったでしょう。
母を好きでい続けられるか
ご質問者様は小学生の頃から母の介護のために様々な負担を負ってしまいました。
ご質問文では同棲やデートを断ったと書かれておりますが、そんなものは極々一部で様々な負担を強いられたことと思います。
友人との遊びの約束を断ったこともあるでしょう。
自分の時間を作れなかったこともあるでしょう。
諦めざるを得なかった将来の夢もあるでしょう。
ご質問者様はそれほどまでに負担を強いられ続けたので御座います。
自分の人生を母親に捧げ続けてきたので御座います。
今はまだ、お母様も存命中ですのでお母様のことを大好きと自分に言い聞かせることも出来るでしょう。
ですが、お母様が亡くなったらどうでしょうか?
自分の人生のすべてを捧げた母親のことを、憎まずにいられるでしょうか。
そして母の介護にすべてを費やしてしまった自分の人生に絶望せずにはいられるでしょうか。
もしもこの質問に心の底から、何のためらいもなく「NO!」と言えるのであれば、私から言うことは御座いません。それもまた人の人生で御座います。私がとやかく言うことではないでしょう。
ですが「NO」と言うことが出来ないのであれば、もう少しだけお話を続けさせていただきます。
決断なんて出来るはずがない
ご質問者様が自信を持って「No」と言えないことくらい分かっております。もしも先程の質問に自信を持って「No」と言えるなら、そもそも私にご質問などしないことでしょう。
すでにご質問者様は外の世界を見てしまったのです。もしも自分の生活が本当に普通であると思い込み続けられたのであれば、ご質問者様はお母様の介護をし続けても幸せに生きることが出来たかもしれません。
しかし、幸か不幸かご質問者様は外の世界をすでに見てしまいました。
自分の知人がどんどん結婚していく世界を。
母の介護に縛られず、楽しそうに恋愛をしている世界を。
子供を産み、幸せを享受している世界を。
ご質問者様はすでに見てしまっているのです。
自分の世界がいわゆる普通ではないことに、ご質問者様はすでに気がついてしまっているのです。
「そのことについては悲観的に思っているわけでもなく、私の家では普通だと思っています。」
ご質問文の中にあったこの一文がその象徴でしょう。
「私の家では」とわざわざ付けてしまっているのです。つまり言い換えれば「私の家以外では普通ではない」とご質問者様はすでに気がついてしまっているのでしょう。
自分の家が世間一般の普通ではなく、そしてそのせいで自分がたくさんの幸せを諦めてきたことにご質問者様は気がついてしまっているのです。
もちろんご質問者様がこれまでに送ってきた人生の中には、お母様の介護をしたからこそ得られた幸せもあることでしょう。ですが、その幸せはあまりにも代償が大きすぎるとご質問者様は気がついてしまったで御座います。
だからこそご質問者様はその世界に憧れて、その世界に飛び出したいと願っている。
しかしそう簡単に飛び出せるものでは御座いません。
ご質問者様が飛び出してしまったら、残された母親はどうなるのか。
これまで28年間積み上げてきた「親孝行のいい子」という称号はどうなってしまうのか。
お母様のことを考えれば、ご質問者様が外の世界に飛び出す決断が出来ないのは当然のことで御座います。
ですので私は「母を見捨てて、結婚をしろ」などと言いません。
しかし自分の人生のすべてをお母様の介護に費やすという異常な献身をご質問者様に要求するのも、あまりにも酷な話でしょう。
ですので私は「母のために生涯をつくせ」などと言いません。
その彼と結婚して、彼と一緒にお母様をサポートするという選択もあるでしょう。
もしも奇跡的な幸運により、その彼がお母様のサポートを一緒に引き受けてくれるのであれば、その選択肢が最善かもしれません。
しかしそれは奇跡的な幸運で御座います。
たとえ健康であっても、相手の両親と暮らしたい人などそうそうおりません。ましてサポートが必要な相手の両親と一緒に暮らしたいなどと言う人がいたら、それはもう狂人の類でしょう。
「車椅子の母親がいてもいい」と言う人はいても「車椅子の母親がいるのがいい」と言う人はいないのです。
ですので私はこの3つのどれも押し付ける気は御座いません。3つはオススメでは御座いますが、あまりにも奇跡的な幸運が重ならないと難しい方法なので解決策としては少々問題があるでしょう。
そもそもどちらを選んでも地獄な選択肢が並んでいる中でご質問者様が決断できるはずがありません。
ご質問者様の決断能力が低いのではなく、こんな状況になって自分から決断して動ける人などまず存在しないのです。
どうかご安心くださいませ。
ご質問者様は良い意味でも悪い意味でも普通で御座います。
取り立てて決断能力が低いわけでもなく、親離れが出来ない子供でもない。
どこにでもいるただの普通な女の子で御座います。
だからこそ私がご質問者様にお伝えしたい方法は1つだけ。
決断しなくていい。
むしろ決断をするな。
決断しないという決断
結婚と母の介護。
ご質問者様の心がどちらに傾いているかを私は明言いたしません。
どう考えても片方に傾きつつありますが、それを明言してしまったらご質問者様は自分自身のことを許せなくなってしまうことでしょう。ですので、わからないままにしておいて良いのです。
しかしご安心くださいませ。
ご質問者様が決断なんてしなくとも、状況はすでに良い方向に向かっております。
「今の彼からプロポーズされたとして手放しで喜ぶことも、断ることも出来ない自分が想像できます。」
このままで良いのです。
「母を見捨てた」なんていう決断を下したら、ご質問者様は生涯自分を許せない。だからそんな決断をしないでくださいませ。
「結婚しない」なんていう決断を下したら、ご質問者様は生涯母を許せない。だからそんな決断をしないでくださいませ。
決断をせずに流されれば良いのです。
私はご質問者様のお母様のことを存じませんが、おそらくは娘の幸せを願ってくれていることでしょう。
私は今の彼のことを存じませんが、おそらくはご質問者様の幸せを願ってくれていることでしょう。
それならば決断などせず、流れに身を任せておけば良いのです。
決断をしたら、どちらを選んでもご質問者様は自分自身のことを許せない。
「今の彼からプロポーズされたとして手放しで喜ぶことも、断ることも出来ない自分が想像できます。」
ご質問文のこの一文に答えはすでに出ているではありませんか。
手放しで喜べないが、断れない。
それが辿る運命は1つで御座います。
だからこそ「母を見捨てるわけにはいかないから、自分は結婚しない!」なんていう決断をしないでください。
彼の手を振り払い、幸せになりなさいと言う母の言葉を無視するような決断をしないでいただきたいのです。
決断なんてしなくて良いのです。
出来るはずもありません。
ご質問者様のお母様が、ご質問者様のことをどう思っているか、私には分かりません。
もしかしたら酷い親かも知れません。ご質問者様のことを愛していないかもしれません。
もちろん愛していて欲しいと願っておりますが、それは私には分かりません。
ですがここまで尽くしたのです。ご質問者様がお母様のことを大切に思っているのは間違いないでしょう。
ですので私はこう願いたいのです。
大好きな母を、大好きなままでいられる選択をしてください。
大好きな母を、嫌いになる選択をしないでください。
母に嫌われることはあっても、母を嫌うことがない人生を歩んでいただきたいのです。
そしておそらくそれこそが、お母様にとっても幸せなことであると私は思います。