【ご質問】
私の悩みは「いじめられている人に手を差し伸べてしまう」というものです。
いじめが起きている環境というのは、私が通ってきた小中高校のクラスいくつかと、大学のゼミなどです。見えてる範囲では、いじめ自体はドラマのようなダイナミックなものではなく、その子にだけ突然キツく当たったり、省いたりするものでしたので、「いじめ」という表現は強すぎるかもしれませんが、他に言葉が思いつかないのでそう表現させていただきます。
大体そのいじめられている人は、軽度の発達障害っぽい人が多いと考えています。清潔感を保つのが苦手だったり、意思疎通がたまに成立しなかったり、不器用だったり、諸々もどかしい一面が周りの苛立ちを引き起こしているようでした。
私はたまたま発達障害の種類をいくつか知っているためか、「あぁこれは下手なんだな」としか思わず、イライラすることはあまりないです。しかし、他の人が攻撃するとその人の下手さが悪化するので、それをしなければいいのになと思います。
そこで私はいつもキツく当たられて更に萎縮してしまうその人が可哀想に思えてしまい、相談してほしいことはある?だとか私と一緒にやらない?などと手を差し伸べてしまうのです。
手を差し伸べるとどういうことが起こるかというと、この手のいじめは私に矛先がくることはなく、「その人の面倒をずっとみる係」となってしまうのです。学校では特にその係として先生から利用され、自分が本当に一緒にいたい友達から離れさせられることもありました。
私は人助けが好きかと言われると、別にやりがいなどは感じていません。ただ不快なことが身近で起きてるので対処したら、なんかずっと面倒見ておけみたいに突き放されて、挙句助けた人からも「あなたしか友達はいません!」「あなたが私の1番の理解者です!」とか言われて困っています。
私はもっと他に一緒にいたい友達や理解者はいるので、余りに付きまとわれ連絡先をすべてブロックせざるを得ない状況にもなったことがあります。それも申し訳ないですが、私には永遠にその人と向き合う理由はなく、単に手伝っただけなのが本人にも周りにも伝わりません。
そんな無責任なこと言うならやめておけばいいのにとも思うのですが、発達障害っぽい人は何故か常に自分の周りにいて、常にその人の能力を理解せず場を荒らす人もいるので、対処しないとどんどん環境は悪くなってしまうし、どうしたらいいのか本当に分かりません。かといって医者でもない私があの人発達障害だから優しくしてあげてよって言うのは、それはそれで悪いと思います。
助けたらいいのか、助けないで無視するしかないのか、アドバイスをしていただきたいです。
【回答】
ご質問誠に有難う御座います。
仮にご質問者様が手を貸していた生徒をのび太、そしてのび太に対して強い口調で攻撃する生徒をジャイアンとしましょう。
ご質問者様はのび太のために手を貸し、のび太が組織に入れるように協力しました。しかしジャイアンなど他の生徒が邪魔をしてきてのび太は結局組織に入れません。
先生は先生でのび太の扱いに手を焼いていたので、のび太の面倒を見ているご質問者様にのび太の面倒を見るように指示します。クラスから阻害されている厄介な生徒に手を差し伸べる優しい生徒と褒めて、ご質問者様に面倒事を押し付けました。
さて、ご質問者様はそんな状況に嫌気が刺してのび太の面倒を見るのをやめてしまいます。のび太は一緒にいて楽しい相手ではありませんし、のび太のせいで仲の良い友達と一緒にいる時間も減ってしまうので当然のことでしょう。
のび太は「あなたしか友達がいない!」「あなたしか頼れない」と泣きつきますが、そんなことは知ったことでは御座いません。
さて、そうしてのび太は再び孤独になりました。
そしてのび太は世間を憎み、大量殺人を計画するようになります。
対象はもちろん自分のことを疎外したクラス。ご質問者様やジャイアンがいるクラスで御座います。
この時、のび太が殺すのはいったい誰でしょうか?
残念ながらご質問者様は刺される側の人間の1人になってしまうことでしょう。
そしてもしも生き残る人がいるとすれば、のび太のイジメに加担せず、かと言って助けもしなかった傍観者だけなのです。
人間は奪われることに耐えられない
皆様に日頃のお礼を兼ねて私から1万円をプレゼントさせて頂きます。
……と思いましたが、やっぱりお金がないので止めておきます。
さて、客観的に考えて、のび太に対して1番優しく接していたのはご質問者様でしょう。
最終的に諦めたものの、諦めた後ものび太のイジメに加担しているわけではありません。
しかし、のび太の目線で見れば話は全く変わります。
ただイジメてきただけのジャイアンは自分のことを攻撃する敵。これは良いでしょう。
また攻撃もせず助けもしなかった傍観者は敵でも味方でもない存在。のび太の目線で見れば「助けてくれなかった人」ということでやや敵寄りになりますが、良い意味でも悪い意味でも大した感情は抱いておりません。
問題なのはご質問者様のポジション。
ご質問者様が手を差し伸べた時、のび太にとってご質問者様はこの世に唯一の味方で御座いました。しかし、ご質問者様が味方であることを止めた時、ご質問者様はのび太にとって裏切り者になってしまうのです。
これはのび太の期待の差が原因でしょう。
最初から何の期待も与えなかった傍観者が何もしなくても、のび太にとってはいつも通りのことに過ぎません。
しかし期待を与えたご質問者様が何もしないと「してくれるはず」という期待が裏切られ、マイナスの評価になってしまうのです。
先ほど私が1万円をあげると言いましたが、これと同じでしょう。
私が1度1万円をあげると言ったとき、ご質問者様は「1万円貰えるかも!?」という期待を抱きました。のび太の例で言えば「僕にも友達が出来たかも!」「もしかしたらみんなと仲良くできるかも!」という期待でしょう。
しかし、私はその期待を裏切りそれを撤回しました。
ご質問者様の金銭的収支は±0で御座いますが、ご質問者様には不満が残ったことでしょう。
それと同じでのび太の状況は最初と同じ±0であったとしても、「期待したのに裏切られた」という不満だけがのび太の中には残るのです。
最初から手助けすることがなかった人間よりも、手助けをして諦めた人間のことを嫌う。非常に理不尽な話で御座いますが、人間の心理はこのような理不尽な感情を抱いてしまうのです。
残念ながら最後まで助けることが出来ないにも関わらず助けることは、何もしないよりも相手を傷つけてしまうこともある。
期待をして裏切られるくらいなら、最初から期待をしたくない。
人間は期待していない人から嫌われるよりも、身内に裏切られる方が辛いのです。ご質問者様が手を差し伸べてしまったことで、のび太目線ではご質問者様は身内になってしまった。だからこそ身内ではない傍観者と同じことをしているだけでも、のび太の憎しみは深く深くなってしまうのです。