ADHDは障害なのか個性なのか
さて、それでは今回のご質問に戻りましょう。
そもそもADHDは障害なのか個性なのかという問題も御座いますが、まずは「ADHDは障害である」と仮定してお話をさせていただきます。
私はマクロな視点で物事を考えると、障害者に対しては何かしらのサポートをするべきであると考えています。
極端な話「人を殺さないと発狂しちゃう病」みたいなとんでもない障害があったとしても、出来る限り彼らが幸せになれるように対処をすべきであると考えます、もちろん「他の人の幸せを妨害しない範囲で」という条件はつきますが。
しかしミクロな視点となれば話は異なります。
障害者の方も出来る限り幸せになれるようにするべきだとは思いますが、それはあくまでもマクロな視点。
ミクロな視点で考えると彼らのために身を粉にしろとは決して言えません。
もちろんミクロな視点であっても、私は募金も納税も惜しみませんし、街中で白い杖を持った方がいれば手助けをし、車椅子の方が電車に乗ってくれば車内で導線を確保しております。
しかしそれらは全て「私のできる範囲」程度の話。
結婚をして人生を共にするほどの労力を支払えとは到底言えないのです。
障害者を救うべきだとは思いますが、障害を理由に結婚を躊躇うことがおかしなことだとは決して思えません。
恐らくご質問者様は「障害という理由で結婚を躊躇ってしまうなんて、自分はなんて酷い人間なんだ」と感じていらっしゃることと思います。そのお気持ちが悪いことだとは決して思いません。
ご質問者様はミクロの視点とマクロの視点を混同してしまっているのです。
だからこそその2つが矛盾することにストレスを感じ、自分を酷い人間だと感じてしまっているのでしょう。
確かに、もしもご質問者様がマクロの視点で「障害者は差別すべきなんだ!」と仰ったら、私はご質問者様の人格を疑います。
ですが結婚という極めてミクロな視点で物事を考えた時、障害者との結婚を不安に思うことは非常に当然の感情であると私は思います。
ご質問者様は「ミクロの視点」と「マクロの視点」が一致しないことにストレスを抱えてしまっていることと思いますが、ミクロとマクロが一致しないのは当然のことなのです。
何も不思議なことは御座いません。
イジメ問題と同じでしょう。
イジメを減らすべきだと私は思います。
しかし自分の子供の安全を脅かすことを覚悟して「お前がイジメを無くすんだ!」と子供に言うことはできません。
ADHDが個性なら話は簡単
「ADHDが障害なら」という仮定でお話をさせて頂きましたが、それでは逆に「ADHDは個性である」と仮定して考えてみましょう。
この場合、話は非常に簡単です。
- 些細なことで怒る
- 衝動買いが抑えられず金欠になることが多い
- 雇用形態が不安定
- 経済力に難がある
原因が何であれ、これだけの問題点があるのです。
結婚をしない理由としてどこに問題があるのでしょうか?
ご質問者様にお伺いします。
もしも彼がADHDではなく、単純に性格的に原因で
- 些細なことで怒る
- 衝動買いが抑えられず金欠になることが多い
- 雇用形態が不安定
- 経済力に難がある
であったら結婚をしないことを躊躇うでしょうか?
彼がADHDかどうかはどうでもいい話なのです。
単純に彼の行動が結婚相手として相応しいかどうかを考えれば、自ずと答えは出るのではないでしょうか?
彼氏様を「障害者」として見ず、1人の人間として見るのなら、単純に彼の行動に問題があるからこそ結婚を躊躇っているということがお分かりいただけることと思います。
ご質問者様は彼氏様のスペックや肩書きで結婚を躊躇っている訳では御座いません。
彼氏様の性格・行動・経済安定性が原因で結婚を躊躇っているだけなのです。
それを卑しいというのなら、卑しくない人間を私はみたことがありません。
彼氏様との結婚を止めるつもりはない
誤解をして頂きたくないのですが、私はご質問者様が彼氏様と結婚することを止めるつもりは御座いません。
ただ仮にご質問者様が彼氏様との結婚を拒絶しても、それは少しも卑しいことではないとお伝えしたいだけで御座います。
マクロの視点とミクロの視点で物事の結論は違うのです。
そして結婚は典型的なミクロの話。
彼がADHDかどうかは関係なく、彼と結婚してご質問者様が幸せになれるかどうかだけを考えれば良いでしょう。
もしも幸せになれるのなら、彼氏様がADHDだろうが何だろう結婚すれば良いのです。
逆になれないのであれば、彼が定型発達者であろうが何だろうが結婚しないほうが良いでしょう。
そこに「障害者を保護すべき」とか「障害者を差別するな」的なマクロな話を持ち込むべきではありません。
ミクロの問題をマクロの理論で考えるべきではない。
それをごっちゃにした方が何と言おうとも、私はご質問者様の決断を尊重します。