誰があなたの整形に反対したか?
母親という生き物は気が狂っています。
すべての母親がそうだとは言いませんが、多くの母親は子供の為であれば平気な顔をして命を投げ捨てる狂人です。
もしも母親がご質問者様の整形に反対したのであれば、それは恐らく「整形することでご質問者様が不幸になる」と心の底から思ったのでしょう。
しかし母親が整形に賛成したということは、恐らくご質問者様の整形はそんなにおかしなものではないのです。
誰の意見を聞くかを考えて下さい。
男性は基本的に整形に賛成しません。なぜならば女性が整形をすることは男性にとって損だからです。「ナチュラルメイクのほうが好き」と同じ構造です。
女友達もまた基本的に整形に賛成しません。それはそうでしょう。身近なメスの魅力が上がることは、自分にとって損なのです。
整形は一般的に自分の魅力を上げるものでしょう。
そんなもの、出る杭は打つに定評のある我々日本人がそう簡単に肯定するわけないじゃないですか。
中学生の頃に口紅を塗っただけで「色気づきやがって」と否定されたでしょう。
それと同じです。
戦争中に敵軍に「この作戦を実行しても良い?」と聞くバカがいるでしょうか?
ご友人様とご質問者様では立場が違うのです。ご質問者様にとっての得が、ご友人様にとっての損であることは往々にして御座います。
そしてご質問者様にとって得であったとしても、ご友人様にとって損であれば、そんなもの反対するに決まっているではないですか。
素材の維持が大切ではない
「親からもらった大切な体を傷つけるのか」という意見は分からなくはありません。
ですがこれは料理で考えるとわかりやすいでしょう。
料理の真髄が「素材の味を最大限に引き出す」であることに私も異論は御座いません。ですがそれは「調理をしない」ということではないのです。
美味しいトマトであれば、そのまま出して「サラダだ!」と言うことも出来るでしょう。しかし多くの食材はそのままでは食べられたものではないのです。調理をすることでようやく素材の味が十二分に楽しめるものばかりなのです。
もちろん過度な調理は素材の味を殺してしまいますが、だからといって調理をしないで良いというわけではありません。
素材の可能性を引き出すことこそが重要なのであり、素材を調理もせずにそのままにしておくことが素材を活かすということではないのです。
依存症や過剰な整形
整形依存状や過剰な整形を肯定するつもりは全くございません。
またそもそも私は整形を肯定しているだけであり、推奨をするつもりは全くございません。ですので整形に興味が無い方に対して「整形をした方がいい」というアドバイスをしないことをここにお約束させて頂きます。
あくまでも「整形をしたい」という方に対して否定をしないというだけの話。
ですので整形をするのであれば、依存症や不要な整形を行わないことに注意すべきであると考えております。
しかしこれらの問題は「整形」の問題ではなく精神の問題であると言えるでしょう。
依存症に関して言えば、もともと何かに依存したい人がその依存先を整形に求めただけであり、整形をしていなければ別の何かに依存をしていただけの話に過ぎません。
例えば包丁で人を殺した殺人鬼がいたからといって、包丁を禁止にしたらどうなるでしょうか?
そんなもの次は斧で人を殺すだけの話で御座います。斧も禁止にすれば次はナイフ、次はロープ、次は毒、となるだけのことでしょう。
相談相手を間違えるな
ご質問者様の失敗が何かと言えば、それはご友人様に相談したことでしょう。
相談をすればまずまず反対されるのです。
しかも今回の場合、ご友人様は「整形は嫌」と口にしてしまった。
その言葉を言わせてしまったら、例えご質問者様の整形が誰の目から見ても明らかなほど素晴らしく自然で美しいものであったとしても、ご友人様は文句を言い拒絶をせざるを得ないのです。
友人に相談をするべきではありませんでした。少なくとも「整形を考えている」という話をする前に、ご友人様が整形賛成派か反対派かを確認しておくべきだったと言えるでしょう。
反対派であったなら、相談をしてはいけなかったのです。相談をしたら確実に反対される。そしてその反対を振り切れば必ず嫌われる。
だから反対派には相談せずに決断を下すべきでした。「整形は嫌」と口にする前に整形を終えていれば、ご友人様も「まぁいいんじゃない?」と言えた可能性があったのにご質問者様はその道を絶ったのです。
相談すべき相手は「整形賛成派」でした。
整形賛成派の方はご質問者様の顔を見て、整形をすべきかどうかを考えます。
必要とあれば整形を推奨し、不必要だと思えば整形を思いとどまらせる。そういう人間に相談をしなくてはならないのです。
相手の顔を見ずに絶対に整形に反対する「整形否定派」や、逆に整形大好きな「整形過激派」に相談したら、状況や理由を考慮するまでもなく結論が決まってしまっている。
そんな相手に相談しても意味がありません。
誰の得を考えるのか?
最後に今後ご質問者様がどうすれば良いのかということについてお話をさせて頂きたく思います。
残念ながら「整形」については、ご友人様とご質問者様で利害が対立してしまいました。
整形をすればご友人様は損をして、整形をしなければご質問者様は損をする。
どっちが損をするかという話でしかありません。
こんな話をするとご質問者様は「自分が損をすればいい。自分が我慢をすればいい」と整形を止めることと思いますが、それはそれで良いでしょう。
人のために人の人生を歩むことを否定するつもりは御座いません。
友人が「嫌」と言ったら全部やめましょう。
私が「やめとけ」と言ったら全部やめましょう。
周囲の人間が「ダメ」と言ったら全部やめましょう。
ずっと人の顔色を伺いながら生きていきましょう。
誰のために生きるのでしょうか?
嫌われる勇気
どう考えても決断力のないご質問者様が、どう考えても友人から嫌われかねない選択を望みました。
その決断を私は応援したいですし、もしもここでご質問者様が自分の決断を曲げたなら、また人の顔色を伺うだけの人生になってしまうことと思います。
それならばまだ整形で失敗したほうがマシでしょう。
正直に言えば整形をするかしないか、なんていうことはどうでも良いのです。
ご質問者様が人に嫌われる覚悟をして自分の望みを叶える決断をしてさえくれれば私は何の文句も御座いません。
自分のコンプレックスと向き合い、それを解消したいと思ったのでしょう?
他ならぬ自分のために。
ご質問者様は友人のために整形をしたいと思ったのですか?
先程エマ・ワトソンさんの話を出しましたが、同じページでナオミ・キャンベルさんの整形に対しての意見も書かれているのでここでご紹介させて頂きます。
誰かを喜ばせるためじゃなくて、自分のためにやるのなら問題ないわ。 ELLE ONLINEより引用
ご質問者様の決断がどちらであっても、私は文句が御座いません。
ですがどちらにせよ、ご質問者様が自分のために決断をされたのであれば、人の顔を気にしているだけのご質問者様よりずっと魅力的な女性になっていることと思います。