傲慢・卑下・謙虚・謙遜
それでは4つの対応をまとめてみましょう。
今回は分かりやすく数字を使用させて頂きましたが、あくまでもイメージを捉えるための例としてお考え頂ければ幸いです。
Aさん | Bさん | |
スタート時 | 100 | 100 |
褒めた時 | 110 | 100 |
対等な相手から褒められた場合を考えてみましょう。
スタート時のお互いの位置は100。ここでBさんがAさんのことを褒めたことにより、Aさんの位置が110に上がりました。
それでは4つの対応をした場合、それぞれの位置関係がどうなるか。
Aさん | Bさん | |
傲慢 | 300 | 90 |
卑下 | 80 | 90 |
謙虚 | 110 | 100 |
謙遜 | 110 | 120 |
このようになります。
ここで注目すべきポイントは謙遜と卑下の差でしょう。
どちらも「B(褒めた側)が10多い」という点では関係性が同じなのです。しかしAもBも数字が増えている謙遜に対して、卑下はAもBも数字が減っているということが重要でしょう。
謙遜は2人とも得をしていますが、卑下は2人とも損をしているのです。関係性から見ると「10」で共通なので気が付きにくいですが、圧倒的に謙遜のほうが建設的であり良好なの対応であることがご理解いただけることと思います。
相手の謙遜前提の褒めは恐喝みたいなもの
残念ながら世の中にはご質問者様のように謙虚な方のことを嫌う方がいらっしゃいます。
そういった方は相手を褒める気などサラサラ無く、たとえ10であったとしても相手上に立つのが嫌なのです。相手が謙遜か卑下をして自分が上に立つことを前提した褒めであると言えるでしょう。
「いえいえ私なんてまだまだ……」「〇〇さんには及びません」「〇〇さんのおかげです」というような言葉を相手に言わせることで自分が褒められたいのです。相手からの褒め言葉を引き出しながら度量が大きいふりをする。もはやこれは褒めの恐喝としか言えません。
ですので、謙遜をしなかったくらいで怒り出すような方は相手にしないのが1番なのですが、現実的にはそういう面倒な輩を相手にしなければならないときもあるでしょう。
そういった際には、無駄なプライドで揉めるのも得がありませんので「いえいえ私なんて」と言っておいた方が良いと思います。
しかし、そのような「褒め強盗」ではない方から褒めて頂いた際には、相手のことを否定しないためにも決して卑下をしてはいけません。
もちろんご質問者様のように謙虚な態度で対応しても良いのですが、もしも余裕があれば謙虚に感謝をした上で相手のことを肯定する「謙遜」が出来るようになると尚良いでしょう。
最後にご質問に回答をさせて頂きます。
ご質問者様のような対応は「可愛げがない」「打算的」と思われてしまうかどうか、というご質問ですが私は決して可愛げがないとも打算的とも思いません。
まず謙虚な態度は「素直」ですので非常に可愛らしい態度であると言えるでしょう。むしろこちらが褒めているのに妙な自虐を始める方のほうがはるかに可愛げがありません。
次に打算的かどうかということですが、これもまたやはり全く打算的だとは思いません。
褒められて素直に喜んでいるだけなのです。良くも悪くも打算の欠片もない自然な対応でしょう。むしろ卑下をする方の方が「失敗したときの保険をかけているな」と感じるので打算的であると感じます。
ただ残念ながら日本においては「卑下」をする方が多いので、ご質問者様のように「謙虚」な方が少数派であることは否めません。
特に女性はその傾向が顕著でしょう。これは女性が悪いと言うよりも謙虚な態度すら許さない「褒め強盗」が男性に多いからという理由であることは否めません。彼らは女性に対して「卑下」を強要するので、どうしても女性は卑下をする方が多いのです(女性の方が保険をかけたがるという理由もある)。
「変わっている」というのは、ほとんどそのまま「少数派」という意味で御座います。ですのでご質問者様のように「謙虚な女性」は少数派ですので、ご質問者様は「変わっている」と言われてしまっても仕方がないでしょう。
しかしその「変わっている」が悪いことだとは少しも思いません。むしろ「卑下」という誰も得をしてしまう方が少しでも減って、より建設的な社会になれば良いなと私は思います。
そのためには「褒め強盗」が減らなくてはなりませんが……