お悩み相談

「意見が異なる」=「敵」と考えてしまう人たち

なんで?はタブー

私はご質問文を読んで、ご質問者様は「ギャンブラータイプ」ではないかと推測しております。

理由は色々と御座いますが、妙に自分のことを研究したり、「お前は人をイラつかせる事の天才だな」とご家族から言われているという点は「ギャンブラー」に多い特徴で御座います。「人をイラつかせる」というのは「政治家系」の特徴でもあるのですが、ご質問文を読んでいる限り、相手を屈服させようという印象を抱かなかったので「ギャンブラー」ではないかと判断させていただきました。

さて、ご質問者様は「コミュ力」が欲しいとお悩みのことでしたが、先ほどのタイプ分けで言えば、世間には圧倒的に「普通の人」が多いのです。つまり「普通の人」に好まれるコミュニケーションを取ることこそがコミュ力を付ける一番の近道。超穏健派や政治家系、ギャンブラー系に好かれるコミュニケーションを学んでも、世間のごく一部からしか好かれません。

それでは、ギャンブラー系の方が「普通の人」から好かれるためにはどうしたらいいのか?

ズバリ、討論をしないことが重要です。

もっと分かりやすく言えば、自分の意見を徹底的に殺す。

場の空気に一切逆らわない。

もちろんこれは「普通の人」に意見がないという訳ではないのですが、「普通の人」と比較して圧倒的に意見がある「ギャンブラー」のご質問者様は「意見を完全に殺す」くらいに考えないと普通の人から好かれることは出来ません。

なんで?と聞きたそうですね。

皮肉になりますが、「なんで?」は、もう「意見」なのです。

そう思った方が良いでしょう。

さて、それでは先ほどの会話劇に話を戻させて頂きます。

私が問題だと言った2コマ目ですが、ご質問者様は「単純に理由が知りたい」という理由で聞いているように見えていることと思います。

しかし、「普通の人」は、相手と意見が対立することを何よりも嫌います。そして「なんで?」と質問をすることは相手との意見の相違を生む可能性が極めて高い「討論」を誘発するので「普通の人」は「なんで?」を好みません。

逆に考えることと討論が大好きなギャンブラーにとって「なんで?」は最も重要な単語の1つ。

なんで?を繰り返し、相手の意見や考えを知り、自分の意見を伝え理解してもらう。その過程が楽しい。

これこそがギャンブラーの物事の発想なのです。そしてギャンブラーの人たちからすると信じられないほど、「普通の人」にとって「意見の対立」は許されないことなのです。

可愛い!

この「普通の人」を象徴する言葉が「可愛い」で御座います。

「可愛い」ほど多種多様な意味がある言葉もそうそう存在しないでしょう。だいたいなんでも「可愛い」のです。

そして、お互いに「可愛い」と言っているので意見の食い違いようが御座いません。

他にも典型的に分かりやすい例としては「BLのカップリング」などもそうでしょう。

ツイッターなどでよく画像がアップされますが”Aが攻めでBが受け”派の人と”Bが攻めでAが受け”派の人では決して仲良くなれないこともあるのです。こういう戦争は「普通の人」か「政治家系」の人の場合で勃発します。自分と意見が一致しない相手は”敵”という感覚なのです。

「ギャンブラー」や「穏健派」の方は「そういう人もいるんだね」と喧嘩をすることは御座いません。ただしギャンブラーは「なんでそれが好きなの!?」と質問はしますが……(知りたいだけで喧嘩する気はない。しかし、それを理解してもらえない)

「普通の人」から見た世界

さて、それではご質問者様が「普通の人」から好かれるために、「普通の人」から見て世界がどうなっているのか、という話をさせて頂きます。

まずはこちらの図をご覧くださいませ。

「普通の人」から見た「政治家系」の人は、端的に言って「ウザい奴」で御座います。

意見が一致しなければ、こちらの意見を強引に変えようとしてくる。さらに一致しないものなら完全に敵対してくるのですから「ウザい」と見えても仕方がないでしょう。

ただし「政治家系」の人は、意見が対立していない相手に対して討論や戦闘を吹っかけてくることはないので、そういう意味では「普通の人」にとっても楽な相手であると言えるでしょう。

普通の人にとっての政治家系とは

  • 意見が同じ政治家系→特に揉めない
  • 意見が違う上、優秀な政治家系→戦っても勝てないし、意見を一致させたいので「普通の人」が意見を変える
  • 意見が違う上、無能な政治家系→軽蔑&敵対(ほぼ無視)

 

次に「超穏健派」は「普通の人」から見ても好ましい相手で御座います。

何よりも意見で揉めることがないので、嫌う理由が御座いません。

 

そして最後に「ギャンブラー系」

ズバリ言って「普通の人」が最も嫌いなのは「ギャンブラー系」でしょう。

なぜなら「ギャンブラー系」は「政治家系」と異なり、討論そのものが好きなのです。

つまり仮に意見が一致しても討論をしてくる。なんなら意見が一致したら、わざわざ意見を変えてまで討論をしかけてくる。

「政治家系」は意見が一致したふりをしていれば済むのですが、ギャンブラー系はそうはいきません。

「意見が違うことこそが魅力」と考える「ギャンブラー系」に対して「意見の一致こそが全て」の「普通の人」は決して埋まらない溝があると言っても過言ではないでしょう。

「普通の人」が「自分と相手の共通点」を探しているとしたら「ギャンブラー系」は「自分と相手の相違点」を探しているのです。

そして「あ、ここも違うね!」と嬉しそうにしているのが「ギャンブラー系」

「普通の人」からしたらそれがすでになのです。

この溝は埋まらない

ギャンブラー系の人間が「普通の人」と仲良くなろうと思ったら、これはかなりの労力を必要とします。もちろんどの程度の「ギャンブラー系」か、ということで労力は大きく変わってきますので、ご質問者様がどの程度労力を必要とするかは分かりませんが、なかなかに大変なことでしょう。

さらに言えば、そうして「普通の人」に合わせられるようになったとしても、それがご質問者様の幸せかと言えばまた別問題。

何の意見も言えない。常に相手と場の空気を読むだけの関係を維持することで親友になる。

もともとそういう気質の方であれば、そういう親友も良いでしょう。

今回のお悩み相談は「ギャンブラー」のご質問者様の視線で書いているので「普通の人」が悪人のようになってしまっていますが、間違いなくこの世界は「普通の人」のおかげで成立しています。それに「普通の人」は「普通の人」で人生を楽しんでいるのですから一切否定をするつもりも御座いません。ただタイプが違うだけ。そのことをどうかご理解くださいませ。

しかしタイプが違う以上、頑張って「普通の人」と仲良くなっても、そんなに楽しくありませんよ?

正確に言えば、ギャンブラーの方は自分と違う人間が好きなので「普通の人」と一緒にいても楽しいのですが、「普通の人」は自分と意見が食い違う「ギャンブラー」と一緒にいたいと思わないので嫌われます。

ですので「普通の人」と仲良くなるなんていう無謀なことは諦めましょう。

 

 

と言ったら、ご質問者様は怒ることでしょう。

自分の意見を殺してでも、楽しくないとしても、幸せでないとしても、それでもなお「普通の人」と仲良くなりたい。

もう、多数の人から嫌われたくない。

そんなお悩みを抱えるご質問者様に「諦めて嫌われろ」と、私は言えません。

だからご安心くださいませ。

「諦めろ」なんて私は言いません。

答えはすでに出ているではありませんか。

牙の生えた男

さあさあいよいよ本題です。

ご質問者様にお伺いします。

牙の生えた男だったとき、私の言った通りモテたでしょう?

「牙の生えた男」というのは以前、私が別のお悩み相談の中で作った言葉ですが、そのお悩み相談の言葉を引用して説明させて頂きます。

牙の生えた男について

世界のすべてが敵に見えて、進めば進むほど障害が増えてくる。

誰一人甘えさせてくれる人間などいない。

周囲は敵か、自分の成果の蜜を吸おうと近づいてくる下衆のどちらか。

悩みを相談する相手もいない、なのに弱みを見せることも出来ない。

どれだけつらく、不安で、苦しかろうと、強く気張っていないと、一瞬で食いつぶされてしまう。

将来の確証もない。安定した収入もない。保証もない。

拙著「ラブホの上野さんの恋愛相談」より引用

文脈的にやや過激な表現になっていますが、簡単に言えば「戦う意思」を持ち、自分1人でも進むことを覚悟した男ということで御座います。

そしてこの男は物凄くモテます。女性はもちろん、男性からもモテるのです。

ご質問者様。

「普通の人」に合わせるのはご質問者様の性格を考えると私はオススメできません。不可能と言っても良いでしょう。仮に出来たとしても、それは全く幸福ではない人生になる可能性が極めて高いと言わざるを得ません。

それならば「牙の生えた男」になる方がずっと簡単で、ずっと多くの友人や恋人に恵まれます。

ギャンブラー系はギャンブラー系とは男女問わず非常に仲良くなれるので、そこを探すのも良いですよ。

英雄願望

さて、長々とお悩み相談をお読み頂き誠に有難う御座います。

ここで最後に「牙の生えた男」がなぜモテるのかという話をさせて頂き、今回のコラムを終わらせて頂きます。

先ほど申し上げた通り「牙の生えた男」はある意味で「戦闘狂」で御座います。戦う意思と覚悟を持ち、自分だけの道を切り開く。それが「牙の生えた男」であり、ギャンブラーで御座います。

頭が悪いんです。何度計算したって、幸せになるには「普通の人」になった方が効率的で御座います。どう考えたって割の悪いギャンブルに手を出しているのが牙の生えた馬鹿なギャンブラー。

ですが、そんなギャンブラーを「馬鹿な奴ら」と嫌っている「普通の人」だって、生まれながらにして「普通の人」であった訳では御座いません。

最初は意見の対立を恐れていなかったはずなのです。新しい意見と触れることも、意見をぶつけることも、意見と戦うことも、子供の頃は出来ていた。しかし、成長するにつれ、環境がそれを許さなかった。意見をぶつけることも、主張をすることも出来なくなってしまっただけなのです。

それは間違いなく賢い選択で御座いました。

幸せを「平穏」とするのなら、間違いなく最善の選択で御座います。

しかし、「ギャンブラー」が「普通の人」に憧れるように、「普通の人」もまた「ギャンブラー」に憧れを持っているのです。

人の目を気にせずに意見を言いたい。自分の意見をみんなに伝えたい。彼らみたいに自由に生きていたい。と「普通の人」はギャンブラーに憧れている。

ですがギャンブラーの人生はあまりにもリスクが大き過ぎます。だから「普通の人」はその道に挑戦できずにいる。それは間違いなく賢い選択で御座います。

そんな中、そのリスクに気がつかない馬鹿が、自分が歩きたかったのに怖くて歩けなかった道を自由に歩いている。一歩先は崖かも知れませんが、馬鹿だからそれに気がつかず彼らは自由に歩いている。

そりゃ嫌われるしモテますよ。憧れと憎しみの両方を強く持たれるに決まっています。



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