【ご質問】
会社に入ってから「そんな正論じゃ通用しないよ」と言われることが非常に多いです。
「正しいことだけじゃ通用しない」という理屈は分からなくもないですが、どうして正論はダメなのでしょうか?
第二次世界大戦は正論で発生した
ご質問誠に有難うございます。
今回はご質問者様に「正論」とは何か、ということをお伝えさせて頂ければと思います。
それでは早速話は脱線しますが第二次世界大戦について少しお話をさせて頂きましょう。
ナチスドイツがポーランドに侵攻したことで第二次世界大戦は発生したのですが、ドイツは何故ポーランドに侵攻したのでしょうか。
これは一般的にヴェルサイユ条約が原因とされています。
ヴェルサイユ条約とは第一次世界大戦を終結させた条約であり、一言で言えば「ドイツを徹底的に破壊して、2度と立ち上がれなくするための条約」で御座いました。
さて、そんな条約を批准することになったドイツ経済は完全に破綻。歴史の教科書でよく見かける「パンを買うためにお札をトラックに積む」ような状況になってしまったのです。
そのためドイツでは少なくとも数十万人の餓死者が発生し、死に物狂いになったドイツ人はナチスを支持することになったのです。
歴史に「もし」はありませんが、ヴェルサイユ条約がもう少し甘い条約であったなら、第二次世界大戦は起きなかったかもしれません。
逆にヴェルサイユ条約に「ドイツ人は無条件で全員殺す」という一文があったら、良し悪しはともかくとして、それはそれで第二次世界大戦は起きなかったかもしれません。
窮寇勿迫
「窮寇勿迫」
これは孫子の兵法に登場する言葉であり、簡単に言えば「追い詰められた敵を攻めるな」という意味で御座います。
「可哀想だから追い詰めるな」という意味だと思った方もいらっしゃるかも知れませんが、残念ながら孫氏はそんな甘い男では御座いません。この言葉は「追い詰めすぎる相手が自暴自棄になって、こっちにも損害が出るからやめておけ」という意味で使われているのです。
ドイツの例が判りやすいでしょう。ドイツは第一次世界大戦で敗北し、その時点で十分に追い詰められておりました。
そんなドイツをヴェルサイユ条約でさらに追い詰めるとどうなるか。それこそが第二次世界大戦が発生した原因でしょう。
「窮鼠猫をも噛む」という言葉もあるように、追い詰められた人間は死に物狂いで特攻を仕掛けてくるのです。だからこそ人間を追い詰めてはいけない。自爆特攻をされればこっちだって膨大な損害を被ってしまうのです。
正論にはこの恐ろしさがあると言えるでしょう。
そもそも正論なんて、まともな大人は誰でも知っております。
にも関わらず正論がまかり通っていない状況があれば、そこには”真っ当ではない何かしらの事情”があると考えた方が良いでしょう。
人間関係上の問題とか、利害関係とか。
隠蔽行為とか、長年の慣習とか。
その是非はともかくとして、そこに何かしらの事情があるのは間違いありません。
しかし正論はそんな事情を無視して相手を叩き潰し、追い込んでしまう暴力性があるのです。
そんな正論で相手を追い込んだらどうなるか。
真っ当ではないにしても、そこに事情があれば相手は決して折れません。ああだこうだと言い訳をして、その正論を封殺することでしょう。
それでもなお正論で相手を追い込めば、相手は手段を問わず死に物狂いで反撃をしてきます。
もしかすると正論側は裁判所で勝つかもしれませんが、その法廷に正論側を吐いた人間が立てるとは限りません。死に物狂いになった相手と戦えば、待っているのはお互いの壊滅で御座います。
もちろんそれを覚悟して、それでもなお相手を叩き潰すべき状況であれば、正論を使うのも良いでしょう。
しかしその際はもはや理論の勝負では御座いません。拳と拳で語り合い、どちらかが全滅するまで殺し合うことを覚悟しなければならないのです。
三面方位と黄金の橋
孫氏は「窮寇勿迫」という言葉で、相手を追い詰めることの恐ろしさを説明しましたが、実はあの戦術には発展型が御座います。
それが三面包囲。
三面包囲とはその名の通り「敵の三方を包囲する」ということ。「前・後ろ・右・左」と四方向あるうち三方向だけを包囲するのです。
となると敵は当然、その欠けた1面から逃げようとするのですが、この戦術は一体どのような意味があるのでしょうか。
この作戦が大成功した例として「ワールシュタット・モヒの戦い」をご紹介させて頂きましょう。
ワールシュタット・モヒの戦いはモンゴル帝国とハンガリーの間で発生した戦いであり、ハンガリー軍を包囲したモンゴル軍は三面包囲を行いました。
その結果、ハンガリー軍はその包囲の隙間から逃亡。そしてモンゴル軍は逃げるハンガリー軍を追撃し、徹底的に殺害しました。
もしも包囲を続けていれば、ハンガリー軍は死に物狂いで反撃をしてきたことでしょう。しかし隙間があったからこそハンガリー軍は反撃ではなく逃亡を選択しました。
その結果モンゴル軍はただ逃げるだけのハンガリー軍を安全に殺し尽くすことが出来たのです。反撃してくる敵を攻撃するのは危険ですが、ただ逃げるだけの敵を後ろから殺し尽くすのは安全な狩猟。こうしてモンゴル軍は圧倒的勝利を収めました。
敵を全滅させるつもりでも、それでもなお追い詰めない方が良い
敵を追い詰めて死に物狂いにさせてはいけないのです。死に物狂いの相手と戦えば、こちらにも多大な損害が発生してしまう。
だからこそ適度に逃げ道を与え、戦闘を放棄した敵を後ろから殺した方が良いのです。
正論の行き着く先に待っているのは、双方に壊滅的な被害を与える大戦争だけ。
それを覚悟して、それでもなお敵を殲滅しなければならないのであれば、正論で相手を叩き潰すべき時もあるでしょう。
しかしそんな機会は人生でそうそう御座いません。
正論を口にするなら死を覚悟しなければならない
もちろん私だって正論を言いたくなる方の気持ちは分かります。
この世には、どう考えても正論ではない悪がはびこっているのも間違いありません。
正しいのに、なぜ許されないのか、という気持ちもわかります。
ですが、大人は基本的に何が正論かなんて分かっています。にも関わらず正論がまかり通らないのは、そこに真っ当ではない理由があるからに他なりません。
そこに正論で攻め込むのであれば、それはもう全面戦争。
どっちが正しいかなど、全くもって重要ではない。
自分の飯が奪われると思えば、正しかろうと間違っていようとも誰もが死に物狂いで戦います。
そうならないためには、必ず”逃げ道”を用意してあげなければなりません。正論は相手の退路を完全に断つ愚策中の愚策で御座います。
それは相手との戦争を避ける時でも、相手を徹底的に叩き潰す場合でも変わりません。
だから他の誰でもなく自分のために、どうか正論で戦うことは避けて頂きたく私は思っております。