ただの真面目で優しいだけの人間。
この言葉にドキッとした男性は多いのではないでしょうか。
「真面目で優しいだけの人間」という評価は言葉だけを見れば良い評価に見えますが、勿論プラスの評価では御座いません。
便宜上「真面目で優しい」と言われておりますが、これは優しい人とも思われておりませんし、真面目な人とも思われていないのです。
それでは「ただの真面目で優しい人」とはいったいどのように思われているのでしょうか?
端的に言えば「無害な人」で御座います。
無害な人と言えば、まだ聞こえは良いかも知れませんが、それはいてもいなくても同じという意味に他なりません。
好かれてもいないし、嫌われてもいない。
つまり「嫌われる」という土俵にすら立てていないので御座います。
確かに「嫌い」という評価はマイナス評価で御座いますが、少なくとも相手の女性から「関心」は持たれているという部分で「いてもいなくても同じ」よりはマシでしょう。
「いてもいなくても同じ」
「あってもなくても同じ」
こういうものに人間は時間やお金を一切割きません。
一方で「不快」という評価であっても、関心さえ持たれていればヒットをする可能性は御座います。
例えば「後味の悪い映画」として名高い「セブン」は世界で3億ドルの興行収入をあげた大ヒット作品。
世界一臭いことで有名なシュールストレミングは美味しいかどうかは別にして、日本でもそこそこ売れております。
不快であっても関心さえ持たれていれば、価値は存在する。
「あってもなくてもも同じ」「関心がない」というのは、人間関係において最低の評価であると言えるでしょう。
「好きの反対は嫌いではなく無関心」
これは文学者であるバーナード・ショーの言葉で御座いますが、人間関係の本質をついた極めて的確な言葉で御座います。
「毒にも薬にもならない」
薬に使い道があるのは当然として、毒にもまた使い道が御座います。毒にも薬にもならないものこそが不要なものであると言えるでしょう。
それではそんな「ただの真面目で優しい人」と言われてしまった男性はどうすれば良いのでしょうか?
ズバリ答えから言ってしまえば女性を感動させれば良いので御座います。
「感動」
つまり「感情を動かす」ということで御座います。
あくまでも「動かす」ということが重要であり、必ずしも「良い感情にする」という意味ではないことにご注意くださいませ。
倫理的には問題が御座いますが、世の中の犯罪者はだいたいモテるのもこのためでしょう。
特に凶悪な殺人をするサイコパス的な人間はファンクラブが出来るほどモテることも珍しくありません。
彼らがモテるのは、女性を感動させているからで御座います。
確かに悪い方向に感情を動かしておりますが、悪い方向に感情が動くこともまた感動なので御座います。
それでは一体どうやったら女性を感動させることが出来るのか考えてみましょう。