【ご質問】
彼氏が発達障害(ADHD )です。
以前は通院もしていたそうなのですが現在はしておらず、定職についていません。
日々理解を深めながらお付き合いをしています。ですが、ADHDゆえの特性で、些細なことで怒りっぽい一面があったり、忘れ物が多かったり、衝動買いが抑えられず金欠に陥りがちだったりと心配は尽きません。
わたしは結婚願望が強いです。年齢もアラサーで、かなり意識しています。
彼のことは大好きですが、ADHDの特性のことや、彼の雇用形態、経済力、また子供への遺伝等を考えると、結婚を意識した時に不安な気持ちが強いのが正直なところです。
「わたしが支える!」と奮起できれば良いのですが、その覚悟が出来ません。
そのことを悲しいと感じています。
彼のことをステータスで判断して、自分が卑しい人間のように思えてきて辛いです。
ネットで「ADHD 旦那」などと調べると離婚を勧める記事が多く、さらに不安を煽られます。
彼と一緒に、お金に困ることなく、穏やかに暮らしたい。
それが一番の望みなのですが、その望みが叶えられるか、本当に不安です。
彼とは別れて、定型発達の他の人を探した方がいいのだろうか?と考えることもあるのですが、そんなことを考えてる自分がいること自体が、とても苦しく彼に申し訳ない気持ちになります。
でも、不安な気持ちも抜けきれず、ずっとぐるぐるしています。
何かアドバイス頂けますと幸いです。
【回答】
ご質問誠に有難う御座います。
イジメの問題について少しお話をさせていただければ幸いです。
もしも小学校でイジメがあったなら、皆様はどうするべきだと思いますか?
イジメが根本的になくなると私は思いませんが、それでも減るのであればそれに越したことはありません。
ですので、小学校でイジメがあったら何かしらの方法で解決をするべきであると私は思います。
それでは次にこんな質問をさせて下さい。
もしも自分の子供のクラスでイジメがあったなら、自分の子供にどうして欲しいですか?
私に子供はいませんが、もしもそんな状況になったら大変悩むことでしょう。
子供にどのように伝えるべきか。
それは状況によっても異なるでしょうが、少なくとも自分の子供に「イジメを解決する英雄」になって欲しいとは思える自信がありません。
何故ならばもしもイジメを救うことに失敗したら、自分の子供がイジメのターゲットになってしまうかも知れないから。
そんなリスクを犯してまで、自分の子供に英雄になって欲しいとは親心しては思えないことでしょう。
ミクロの戦略とマクロの戦略
何か問題が発生した時、見る立場によってその問題の見え方は大きく変わります。
例えばイジメ問題の場合。
おそらくこの世に「イジメを減らしたい!」と思っていない方は存在しないでしょう。万が一、存在するとしても極めて少数であるのは間違いありません。
私もまたその考えを共有しております。
しかしそれはマクロの視点なのです。
マクロの視点というのは大きな視点で物事を見るという意味で御座います。
先ほどのイジメの問題で言えば「日本のイジメは減らすべきか?」というようなものの見方であると言えるでしょう。
一方でそれが自分の子供に関係してきた場合、人はミクロの視点で物事を考えるようになります。
つまり「日本のイジメ問題をどうするか」という視点ではなく「自分の子供の安全をいかにして守るか」という視点になるのです。
これはどちらが正しいとか間違っているという問題ではありません。
マクロの視点で考えれば、みんな「イジメを減らしたい」と考えておりますし、ミクロの視点で考えれば「自分の子供をイジメから守りたい」と思うのは当然の話なのです。
そして目的が違えば解決手段も異なるのは当然の話。
マクロの視点で考えればイジメと戦うべきですが、ミクロの視点で考えればイジメと戦うべきではないのです。
このことが理解できないと、ミクロな視点で自分の子供の安全を考えている母親に対して「イジメを傍観しろとは何事か!」というような批判をしてしまうのでしょう。
残念ながらミクロな視点で考えれば、イジメに加担せず、かと言って止めることもしないというのは間違いなく効果的な対処方法の1つなのです。
このようにマクロな視点とミクロな視点で戦略が異なるのは決して珍しいことでは御座いません。
マクロ・ミクロと聞くと「マクロ経済」「ミクロ経済」を思い浮かべる方も多いかと思いますが、もしもマクロとミクロで戦略が完全に一致するのであれば、そもそも2つの学問に分ける必要がないのです。
マクロで考えればAが正しいけど、ミクロで考えればBが正しい。
そんなことが往往にして存在するからこそ、マクロ経済とミクロ経済は分けられているのです。