【ご質問】
いつも相談室やTwitterを興味深く拝見しております。
今回相談させて頂きたいのは、「彼氏の仕事」についてです。
彼は、私より少し年下で一般企業の新入社員です。1年半程付き合っていますが、職場の愚痴があまりにも多いです。
「仕事が終わらない」と毎日言うので、私は「ブラインドタッチ覚えたら」「〜したらいいんじゃない」と言いますが、彼は一向にやらず、「業務量が多いんだ」という話を延々にしてきます。
ブラインドタッチやその他のことも、覚えるのが早ければ早いほど後が楽になると思うし、私だって新人の頃そうしてきました。
私が多少嫌われても構わないのですが、彼の仕事が少しでも楽になって、ひいては愚痴がなくなればいいなと思います。
(愚痴をやめろと言えば簡単かもしれませんが、出来るなら彼の仕事を楽にしたいです)
遠距離なので彼とはなかなか会うことができないのですが、私は彼に何ができるでしょうか。
教えて頂きたいです。
【回答】
ご質問誠に有難う御座います。
どこで読んだのか忘れてしまいましたが、以前に小児科の話で面白いものを読みました。
あるところに新人の小児科医が診察をしていると、そこに1人の男の子が母親と一緒にやってきたそうです。
その男の子は酷く辛い様子で「お腹が痛い」と言うので、その医者は一生懸命お腹の様子を調べました。
しかしお腹には何の異常も見つけられずベテランの医者に相談したところ、そのベテラン医はこう言ったそうです。
「ちんちんは調べたのか?」
そう言われてその男の子の性器を調べると異常が見つかり、その子は手術をして元気になった。
確かこのような話だったと思います。
小さな子供が「お腹が痛い」と言った場合、原因がお腹以外にあることは決して珍しくありません。
子供のなので「お腹」という言葉の範囲が非常に広く、頭が痛いときにも「お腹が痛い」と言うこともありますし、お腹は健康でも精神的な問題でお腹が痛いと感じてしまうこともあるそうです。
特に男の子の場合、ちんちんが痛い時に恥ずかしがって「お腹が痛い」と言うことがよくあるそうで、先程のベテラン医はそのことを知っていたからこそ「ちんちんは調べたのか?」と言ったのでしょう。
子供は基本的に言語能力があまり高くありませんので、小児科医の先生は「本当の問題」を長年の経験や観察眼から見抜いていらっしゃるのだと思います。
本当の悩みはなにか
「お腹が痛い」と言った男の子の本当の問題は「ちんちん」に御座いました。
このように人間は自分の問題を必ずしも正確に分析できるものでは御座いません。また恥ずかしがって「ちんちんが痛い」と言えない男の子と同じように、仮に自分の悩みを正確に把握していたとしても、その悩みをそのまま口にするとは限らないのでございます。
それでは今回の彼氏様の場合はどうでしょうか?
彼氏様が口にした悩みは「仕事が終わらない」でございます。確かにこれをそのまま考えれば、彼氏様の悩みは仕事が終わらないということであり、ご質問者様が仰った解決策は極めてまっとうなものでしょう。
しかし小児科医が長年の経験と観察眼で問題の本質を見抜くように、我々も長年の経験と観察眼で彼氏様の問題の本質を見抜かなければなりません。
それでは彼の本当の悩みは一体何でしょうか?
もちろん可能性はいくつも考えられるでしょう。ですので本当の悩みを見抜くためには、小児科医がそうするように様々な可能性を考慮して調べなくてはなりません。
とは言え「小さい男の子がお腹が痛いと言ったら、ちんちんを疑え」というベテランの格言と同じように、ある程度の傾向はございます。
そこであえて格言にするのであれば、こんなところになるでしょう。
「恋人が仕事の不満を言ったら、愚痴を疑え」
愚痴は対症療法
彼はイタリア出身の医者であり、国境なき医師団に所属しておりました。そう過去形であるように、残念ながら彼は2003年に重症急性呼吸器症候群により46歳の若さでお亡くなりになりました。
重症急性呼吸器症候群と聞いても馴染みのない方が多いでしょう。この病気を英語で書くと「Severe acute respiratory syndrome」であり、一般的にその頭文字を取ってこう呼ばれております。
SARS(サーズ)
2002年から2003年にかけて中国を中心に大流行した感染病であり、カルロ・ウルバニがいなければコロナ異常の死者を世界中で生み出していたかもしれない病で御座います。
感染力が非常に高く、最終的な致死率は11%。単純に比較するべきものではないかも知れませんが、コロナウイルスの致死率が4%弱※1であることを考えるとコロナと比較しても恐ろしい病気であることがお分かり頂けることでしょう。
さて、このSARSですが現在でも抜本的な治療法は存在いたしません。
それではSARS感染者にはどのような方法で治療を試みたかと言えば、対症療法で御座います。
対症療法というのは今のコロナの治療でも使われている方法であり、病気そのものを治療するのではなく、病気によって発生した症状を抑えることで自然治癒力を高め病気の治癒を促進する方法のこと。
胃薬や風邪薬などのドラッグストアで購入できる薬の多くも、この対症療法の薬で御座います。
SARSはカルロ医師を中心にした様々な方の努力と封じ込めにより、発生から半年ほど経った2003年7月に収束宣言がなされました。しかし残念なことに最前線でSARSと戦い続け、世界にSARSの危機を訴え続けたカルロ・ウルバニは収束宣言を前にして自らもSARSに感染しお亡くなりになってしまったのです。
今後、コロナがどのようになるかは分かりませんが、人類はわずか15年ほど前にもコロナのような危機に直面していたのです。その危機を救ったカルロ・ウルバニのことをぜひとも覚えておいて頂ければ幸いです。
さて、それでは今回のご質問に戻りましょう。
結論から言ってしまえば今回の彼氏様はおそらく愚痴を言いたかったのだと思います。実際に彼が職場でどんな辛い思いをされているかは分かりませんが、その辛さを吐き出し、せめて自分が苦しんでいるということを彼女であるご質問者様に理解して欲しかったのでしょう。
自分の苦しみを話し、誰かに理解してもらうだけでその痛みは和らぐのです。
確かに根本的な解決にはなりませんが、それでも一時的な痛み止めとして愚痴は十分に効果のあることでしょう。
ですのでご質問者様は特にアドバイスをせず、ただ優しく彼の話を聞いてあげれば良かったのだと思います。それだけで彼の痛みは和らぎ、彼の悩みを解決する手助けになることでしょう。
もちろんそれは抜本的な問題解決では御座いません。
しかし少なくとも「悩みを聞いて欲しい」という彼の悩みを解決することにはなっているのです。
ご質問者様は風邪をひいた時に、風邪薬を飲んだことがあるでしょうか?
先程も申し上げたとおり、風邪薬には風邪ウイルスを殺す効果は御座いません。あれは解熱と痛み止めであり、風邪の根本的な問題解決にはなっていないのです。
しかし、それを無意味と言えるでしょうか?
抜本的な解決にはなっていなくとも、痛みや熱を下げてくれる風邪薬を「問題の本質を解決していない」と否定することができるでしょうか?
愚痴もそれと同じで御座います。
確かに抜本的な解決にはなり得ません。しかし相手の痛みを和らげることは出来るのです。
痛みを和らげ、彼の自然治癒力を回復させる。そうすれば彼は自然治癒力で根本的な職場の問題を解決できるようになることでしょう。
人間の悩みの多くは残念ながらこのような対症療法でしか治せません。
最後は本人の自然治癒力なのです。ですので我々に出来ることは、本人の自然治癒力を高めるために彼らの痛みを和らげてあげることだけでしょう。
そしてそれだけで十分。いえ十分すぎるほどでしょう。
命を賭してSARSを収束させたカルロ医師はSARSの抜本的な解決をしておりません。しかしだからといってその功績や行動を否定できるはずがないのです。
※1 2020年8月3日時点での感染確認済み人数と死亡者数から計算。
対症療法の注意点
対症療法は現代でもよく使われる医療法の1つで御座いますが、その構造的に重大な欠点があることは否めません。
最終的な治癒を本人の自然治癒力に頼るため、そもそも自然治癒能力が低い人はどうしようもないのです。
例えば高齢者などが分かりやすい例でしょう。コロナでもSARSでも高齢者の致死率が非常に高くなっておりますが、それは高齢者が基礎疾患を抱えているなどの原因で自然治癒力が低いというのも原因の一端を担っていると考えられます。
対症療法では最後は本人が自分の力で治すしかないのです。その力を引き出す手伝いは出来ても、そもそも力がない人はどうしようもありません。
「人は1人で勝手に助かるだけ。だから僕は力を貸すことは出来るけど、助けることは出来ない」とは、化物語の忍野メメの言葉で御座いますが、まさに対症療法はこの言葉通りでしょう。
ですのでどれだけご質問者様が対症療法で彼の自然治癒力を高めようとも、それで根本的な問題が解決するかどうかは彼次第としか言えません。
残念ながら彼が持つ元々の自然治癒力が低いのであれば、ご質問者様がどれだけ対症療法をしようとも彼は死に至ることでしょう。非常に口惜しいことでは御座いますが、これはどうしようもないことなのです。
そしてもう1つ。
どうかご質問者様はカルロ・ウルバニにならないで下さい。
カルロ・ウルバニが人類を救った英雄であることは疑いの余地がありません。彼は己の命を賭してまで、私達の命を救ってくれました。彼がいなければ我々人類はコロナで騒ぐことすら出来ずに息絶えていたかもしれません。
しかし、それでもなお私はご質問者様にカルロ・ウルバニのようにはならないで頂きたいのです。
彼の命を救うために、己を差し出すような英雄にならないで頂きたいのです。
もちろん今回は命を賭けるような状況ではないでしょうが、彼のネガティブな発言がご質問者様に感染し、ご質問者様までネガティブになってしまう可能性は十分にあるでしょう。
それは絶対に避けなければなりません。
幸か不効か今は遠距離恋愛ということですので、感染リスクは実際に会うよりは低いと思いますがそれでも油断は出来ないのです。
どうか人を救うために己の身を捧げるような英雄にはならないで下さい。
それでももしも己を身を投げ出してでも彼を救うというのであれば、トリアージという言葉をお考えくださいませ。
元々はフランスの軍隊で使われていた言葉であり、現代では大規模災害や今回のような大規模感染症で使われる言葉で御座います。非常に簡単に言えば「誰を優先的に治療するか」という順序と考えて頂いて問題ございません。
この優先順位には様々な考え方が御座いますが、厚生労働省が示した「インフルエンザワクチンの優先順位」についてお話させて頂きましょう。
先程も申し上げたとおり様々な考え方が御座いますが、どの考え方であっても最も優先されるのは「医療従事者」で御座います。
ようするにお医者様や看護師のこと。それもそのはず、何をおいてもまず治療する人間の命を確保しなければなりません。
もしかするとご質問者様は彼を見捨てることが出来ず、己の身を捧げる英雄になろうとしてしまうタイプの方かも知れません。
カルロ・ウルバニの場合、彼が亡くなった後、彼の意思を引き継ぎSARSを収束させる医師が存在しました。
しかしご質問者様の場合はどうでしょうか?
もしもご質問者様の精神までやられてしまったら、一体誰が彼を救うのでしょうか。
私は何も彼を決して見捨てるな、なんていう厳しいことを言うつもりは御座いません。そうではなく、仮に彼のことを見捨てないとご質問者様が決心したとしても、それでもなお決して英雄になるなと言っているのです。
彼の愚痴で精神がやられる前に、彼を見捨てることを私は決して否定しません。人が人を救うなんてそう簡単に出来ることではないのです。
しかし、もしもご質問者様が彼を救いたいと決意をした英雄であるのならば、それでもなお精神がやられないように彼と適切な距離を取るべきなのです。
まずご質問者様自身の精神の安定を考えて頂きたいのです。もしもご質問者様の精神がやられてしまったら、彼の痛みを和らげる人間はもういません。
ですのでご質問者様の精神が悪化しない範囲で、彼の愚痴を聞いてあげて頂きたいのです。
確かにそれは所詮、対症療法に過ぎません。
抜本的な問題はそれだけでは全く解決しないのです。
しかし彼の痛みを和らげることができれば、彼の自然治癒力が促進され彼自身の力で抜本的な問題を解決できるようになる可能性もあるでしょう。
彼を楽にさせてあげたいと仰っておりますが、辛い時に電話をする相手がいるだけで彼がどれだけ救われ、どれだけ楽になっているか。
どうか自信を持って下さい。すでにご質問者様は彼をこれ以上ないほど救っているのです。
※コロナに関する情報は厚生労働省「新型コロナウイルス感染症について」を参考にしております。