自由競争
それではご質問者様が仰るように完全なる自由競争、つまり実力だけで上下が決まる世界になったら、人類は幸せになるのでしょうか。
少なくとも私は幸せになるとは思えません。だから却下です。もしかしたら自由競争は平等かもしれませんが、そんなことに興味はありません。人を不幸にする平等など、この世で最も軽蔑すべき考え方であるとすら私は思っています。
ちなみに、もしもこの世が完全なる実力主義で「上下」で判断する世界であるのならば、自分の意見を少しも通すことが出来ず、誰にも議論で勝てないご質問者様は「最下層の底辺」ではないのでしょうか?
今の世界は基本的には民主主義。つまり「人を説得し味方を増やす」ということこそが実力であると言っても過言ではありません。その観点で言えば、ご質問者様は議論に負け、味方を作れないようですので「最下層の底辺」であると言えるでしょう。
「強いものが勝つのではない、勝ったものが強いのだ」というのは私が最も好きな言葉の1つであり、ドイツサッカーの皇帝フランツベッケンバウアーの言葉です。少なくともご質問者様は議論に置いては負けた。つまり実力がない弱者なのではありませんか?
ご質問者様は「その競争は自由な競争ではない差別的な競争の下で行われているから無効だ!」と仰りたいのでしょうが、それは「環境を自分にとって都合の良いものにする能力競争」に負けたご質問者様が悪いとしか思えないのです。
原始人が現代にやってきて「俺はこんなにマンモス採れるのに、何で年収1000万にならないの?」と言っているのと本質的には変わりません。
さて、ご質問者様は大学生ということですが、この手の質問をされるということは、おそらくはそれなりに偏差値の高い大学に通っていらっしゃるのではないでしょうか?
そしておそらくは「何でこんなにも勉強が出来る俺が、たかだか早く生まれた程度の人間に従わなくてはならない!」とお考えになっているのではありませんか?
もしこの予想が正しいのなら、そもそもに「何故、勉強が実力の指標」になっているのか、ということを考えねばなりません。それは言うまでもなく昔の偉い人たちが「勉強を指標にしようぜ!」と考えていたからでしょう。つまり「勉強ができる」というのはご質問者様の実力だとしても、「勉強が重要な指標」であるのはご質問者様の実力ではありません。
もちろんだからと言って「年功序列」で偉そうに人を使うことが、人類の幸せかと言えばこれもまた人の幸せではないでしょう。ですのでそういう意味ではご質問者様の意見に賛成させて頂きます。年功序列にも良いところはあるのですが、それで横暴になるのは正しくない。
また「お互いがお互いに尊重すればいい」という考え方も、概ね「人の幸せ」に繋がると思うので賛成します。しかし、ご質問者様が仰るように「実力だけで勝負を決めろ!」という世界になってしまうと人類にとって不幸だから、だめ。
私の考え方はそのようになっています。