きっぱり諦められる状況だから、諦めるのではない
「よし、今ならきっぱり諦められそうだ」
「この手段ならきっぱり諦められそうだ」
そんなことはそう簡単に起こり得ません。
逆です。
物凄く執着深く未練たらしい気持ちを持ちながら、強引に理性で「諦めた」と言い聞かせ、その時間を長く保つことが出来たらから、後から思い出せば「きっぱり」と言えるようになるのです。
諦めるに完璧なスタート。それを待つのではなく、諦める必要があると思ったら強引に「諦めた」と言い聞かせるのです。当然最初のうちは物凄く未練たらしいですし、執着もあることでしょう。
ですが、それに耐えなければ諦めることなど出来ません。”会えない時間が愛を育てるのは”付き合っている場合に限りますし、付き合っていてもほとんどの場合、愛を冷まします。会えない時間こそが決別には必要であると言えるでしょう。
特に危険な「最後に思いを告げる論」
「最後に告白して、それできっぱり諦める!」
そんなもの「最後の1回だから」と言ってパチンコに行く人間と何も変わりません。それで諦めることが出来るなら誰も苦労はしないのです。確かに稀に「あ、これで0%だ」と思える人間もいますが、それは傾向的に男性の方に多いように感じます。女性はあまりそれで諦められているように思えません。
また「最後に思いを告げる論」の構造を考えると「そもそも告白しなくても決別できた」場合が多いことがわかります。
実際問題「最後に告白して玉砕して、諦める」ということが出来た方は少なからずいらっしゃいますが、その仕組みを考えてみると「玉砕したから吹っ切れた」なんていうことは稀で「告白して玉砕した結果、気まずくなって会う時間が減った。会う時間が減ったことによりどうでも良くなった」という仕組みなのではないでしょうか。
会わない時間こそが諦める決断になる。
「もう、諦めるから最後に一目見たい」
一目見たら時間がリセットされます。
また会わない時間を累積させなくてはならなくなってしまうのです。
もう一度見たい、その気持ちを我慢して耐えることが諦めるためには必要であると言えるでしょう。
叶わない片思いは無駄ではない
最後にご質問者様にお伝えしたいことが御座います。
先ほど「片思い 諦められない」とネットで検索したところ、その解決策として「叶わない片思いは時間の無駄だ」という内容のものがたくさん見つかりました。
確かに、将来性のない恋は不毛な時間かも知れません。そんなことに時間をかけるくらいなら、新しい恋に進んだ方がいい。
その理屈は分からないでもありません。
しかし、片思いに執着し、叶わぬ恋に思いを馳せ、苦しみ悲しむこと。
この経験もまた、人生においては大きな糧になるのではないかと私は思っております。
叶わぬ恋に思いを馳せることが無駄なのでは御座いません。
片思いから抜け出すことが出来たその時に「叶わぬ恋に一生懸命向き合った時間が無駄だった」と切り捨ててしまうことが無駄なのです。
相手から恋人として扱われることもなく、相手から愛されることもなく、それでもひたむきに誰かを愛することが出来た、その経験が貴重でないはずがありません。その経験は必ず人生の糧になり、次の恋愛に、その後の人生に役立つことでしょう。そもそも「悲しい失恋」の1つや2つもない人生の方がずっと寂しいものなのです。
ですので、いつか片思いのしがらみから解放された時「随分長い時間とらわれてたなぁ」と思いながらも、その片思いで感じたこと、経験したことをなかったことにせず、自分のものにすれば良いのです。
後悔をするなと言っているのではありません。
断言しますが、まず間違いなく後悔します。もっと早く諦めれれば良かったと、あの時こうしていれば付き合えていたかもと、必ず後悔することでしょう。それはそれでいいのです。
あの長すぎる片思いには、意味があった。あれがなければ今の自分になることはできなかった、だから必要な儀式だったんだ、と片思いから抜け出した時に思えるか。それが非常に重要なことであると言えるでしょう。
片思いを諦めたとして、ご質問者様は「あの片思いは無駄だった」と思うでしょうか?
もし「No」なら御安心下さいませ。それならばもう片思いを止める準備はできております。