寝坊の理論
朝、目が覚めました。
今日は物凄く学校に行きたくありません。
ふと、時計を見るといつもより起床時間が遅く、遅刻するかしないかギリギリの時間でした。
「今から頑張って急いで遅刻せずに行くか」
それとも「どうせ遅刻だ、と諦めて二度寝するか」
皆様もこんなことを悩んだことはありませんか?
しかし、こういった状況の時「ああ、今から急ぐか、諦めるかどっちにしよう!?」と悩んでいる方というのは、別に本気で悩んでいるのではないのです。
単純に「絶対に遅刻になる時間になるのを待っているだけ」であり、悩んでいるのは「絶対に間に合わない時間」になるまでの間の暇つぶしみたいなもの。
「あぁ、悩んでいたらいつのまにか、もう絶対に間に合わない時間だ。仕方ない、今日は休もう」と言える時間になるのを待っているだけなのです。
人間はどちらも選ぶことが出来るから悩むのでしょう。もし片方しか選べなくなったら、誰も悩みません。
そして「悩む」というのは基本的に人間にとっては苦痛で御座います。ですので悩まないために片方の選択肢が消えるように仕向けること。それを私は「寝坊の理論」と呼んでいます。
おそらく片思い中の方というのは、この「寝坊の理論」を少なからず実践しているのではないでしょうか。
「どうか誰か、私の恋が実る可能性を0%にして下さい」と。
ご質問文にもある通り「もしかしたら・・・」と思うから諦めることが出来ないのです。ですので「100%無理」な証拠を見せて欲しい、そんな風に感じることはないでしょうか?
恋に100%はない
例えば私の場合、始業時間の25分前に家を出なければ物理的に間に合うことはありません。電車の都合上不可能なのです。
ですので、始業時間の20分前になれば「あ、100%遅刻だ」と心の底から信じることが出来るのですが、これが恋の場合はなかなかうまく行きません。
「この恋は100%無理だ」なんていう状況など、そうそう起こり得ないのです。
実際問題として、今のご質問者様に「恋が実る可能性」があるかないか、という話だけでしたら「極めて低いものの0ではない」としか私は言いようがありません。人間の感情は曖昧なのです。何が起こるか分かりませんし未来など誰にも分かりません。それなのにどうして「100%無理」ということが出来るのでしょうか。少なくとも私には出来ません。
つまり、寝坊の理論のように「絶対に叶わない状況になる」というのは非常に難しいことなのです。
決断は苦痛であり、辛いことでしょう。ですので絶対に叶わない状況に追い込むことで決断をするというのは非常に合理的な手段で御座います。
ですが、恋はその「絶対に叶わない状況」がそうそう訪れないのです。相手が結婚しようとも、それでも絶対とはなかなか言えません。それこそ相手が死のうとも、それでも何故か「もしかしたら」と思ってしまうのが人間なのです。遅刻と恋ではわけが違います。
絶対に諦められる状況を待ってはいけない
もし、絶対に恋が実らないと分かれば、人は諦めることが出来るでしょう。そして厳しい片思いをしている方というのは多かれ少なかれその状況になることを待ち望んでいるように感じます。
しかし、困ったことに恋に絶対はそうそう訪れません。
ということはどういうことか。
「あ、これは諦められる、やったー」なんていう風に諦めることは不可能ということ。
絶対に未練がましく、執着を残し、もしかしたらという希望を抱きながら諦めなければならないのです。
すっぱり諦めることが出来た方は極めて幸運な方と言えるでしょう。普通はすっぱり諦めることなど出来ません。そしてすっぱり諦めることが出来る機会を待っていたら、それはもしかしたら先に寿命が来てしまう可能性すらあるのです。