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「疑いすぎ」は「信じすぎ」よりたちが悪い

「彼」側の方へ

例えばデートの当日に女性から「ごめんなさい、急に体調が悪くなって……」とキャンセルのLINEが来たとしましょう。

この場合、大きく分けて2つの可能性が考えられます。

1つ目は本当に体調が悪くなった可能性。

2つ目は行きたくないだけの嘘の可能性。

人を信じることしか出来ない方は、素直に「そっか、体調が悪いのか。お大事に!」と考えることでしょう。

逆に人を疑うことしか出来ない方は、「ああ、脈なしだ。彼女は嘘を言っているんだ」と考えることでしょう。

確かに思考回路の複雑さとしては人を疑う方の方が上で御座います。

というのも人を信じることしか出来ない方が「体調が悪い」という可能性しか考慮していないのに対して、疑う人は「体調が悪い」という可能性と「嘘」の可能性の2つの可能性を考えているから。単純計算ですが2倍の思考をしていると言えます。

だからこそ「人を疑うことしか出来ない方」というのは往往にして「信じることしか出来ない方」を見下してしまうのですが、必ず「嘘」の可能性を信じるというのは、必ず「真」の可能性を信じるということと大筋では変わりません。

どちらの方も状況を考えていないのです。

どんな状況であっても必ず同じ反応しかしない。それが真か偽かというだけで、行動がワンパターンなのは何も変わりません。

重要なのは2つの可能性を両方考えた上で、その上で今回はどちらなのかと判断を下すことなのです。

 

人を信じることしかしない方を騙すのは簡単です。

「絶対に儲かる」と言えば良いのです。

 

一方で絶対に信じない人を騙すのもまた簡単です。

「絶対に儲からないからやるな」と言えば良いのです。

そもそも絶対に信じない方は放っておけばあらゆるチャンスを逃し続けて勝手に自滅するので、わざわざ騙す必要もありませんが、仮に騙すとしてもそんなに難しくないのです。

 

絶対に疑うというのは誰にでもできる簡単な思考でしかありません。

考えているようで全然考えていない。

それなのに「全てを信じる人よりも、自分は頭が良い。しっかりと考えている」という自信だけはある。これほど詐欺師目線ではカモで、友人目線では厄介な存在もいないでしょう。

全てを偽と判断するというだけの極めてシンプルかつ単純な構造でしかないのに、その偽という結論は決して疑わない。信じる対象が違うだけで「もしかして自分の考えは間違っているのではないか?」と自分を疑うことが出来ないという意味では、信じるだけの人も疑うだけの人も同じなのです。

今回の男性もそうでした。

「もしかして体調不良は嘘なんじゃないか?」と疑うことは出来ましたが、「デートに行きたくないから嘘を言ったんだ」ということは疑えなかった。自分の判断が絶対に正しいと思ってしまったのです。だからこそ、その後ご質問者様と「次のデート」の話をしても「これは社交辞令だ」と判断してしまったのでしょう。

真と偽。その両方を考えて、今回はどちらの状況かということを考えなくてはならないのです。

 

ところで「全てを信じる」と「全てを疑う」という思考回路には1つだけ大きな違いがあると言えるでしょう。

全てを信じる人には人が集まり、全てを疑う人から人は離れる。

 

ですので詐欺師の目線で考えれば、全てを疑う人間の方が騙しやすいのです。

「無駄な自信」「少ない味方」「単純な思考回路」

騙すために必要な3つの条件が完全に満たされている格好のカモ。

 

確かに何でもかんでも信じるのも問題ではありますが、何でもかんでも「偽」だと信じるのもまた問題でしかありません。

もちろん、その都度その都度、信じるか信じないかを考えることが出来るのであれば、それに越したことはありませんが。



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