お悩み相談

親という試練【お悩み相談第54回】

ニードルワーム

私が子供の頃。H君という友人がおりました。

彼は非常にたくさんの遊戯王カードを持っておりよくデュエルをしていたのですが、当時の私はブルーアイズホワイトドラゴンや暗黒騎士ガイア・デーモンの召喚といった強カードを持っていませんでした。

一方でH君はこういった高パワーのモンスターを多数所持しており、まともに戦ったのでは100%負けてしまいます。

そのため私は正攻法で戦うことを諦めて、ニードルワームというカードを使ってH君とデュエルをしておりました。このニードルワームというカードは単純な攻撃力はわずか750。ブルーアイズの四半分という弱いカードなのですが、特殊な効果を持っていて相手のデッキを5枚破壊することが出来るのです。遊戯王はライフポイントが0になる以外にもデッキが無くなると負けなので、そういった方法で勝負をしました。

とは言え、この戦法は基本的には邪道で御座います。少なくとも当時の遊戯王は高パワーのモンスターで普通に戦っていた方が遥かに強かったのです。

それでも私がニードルワームで勝負をしたのは、普通にやったら絶対にH君に勝てないから。

0勝100敗を1勝99敗にするための「苦渋の選択」※1

今の遊戯王の状況は詳しくありませんが、今の遊戯王にも「王道※2」と呼ばれる戦術が存在し、多くの人がそれを使って戦っていることでしょう。

もし仮に私のように「ニードルワーム」を使うような戦術の方が高パワーのモンスターで戦うよりも強い状況になったのであれば、多くの方がニードルワームを使うデッキを使い、それが普通になり王道になります。実際、遊戯王では悪名高き「マジックルーラー」というカードパックが発売された頃から、ハンデス(相手の手札を破壊する戦術)が強くなったため、それが王道戦術になりました。

普通というのは王道であり、王道とは強いのです。

王道だから強いのではなく、強いから王道なのです。

王道になることが出来なかった者は「邪道」と呼ばれ、王道に一矢報いることを夢見ますが、多くの「邪道」は王道に駆逐され、ごく稀に王道に一矢報いることが精一杯。そしてそのごく稀な中のさらに一部の者が、王道に取って代わり新たな王道になるのでしょう。

※1 苦渋の選択 遊戯王における「苦渋の選択」と言えば悪名高き「超王道カード」なのが皮肉

遊戯王最強カードの1つ。無論禁止カード。そういう意味では邪道。

※2 王道と邪道 本来の意味は儒教と仏教の言葉。王道は儒教的に「王が武力ではなく徳で治世を行うべき」という意味であり、邪道は仏教的に「仏の道から逸れた方法」という意味。現代では「正攻法」と「正攻法ではない方法」という意味で使われることも多く、今回はそちらで使用しています

親は子に「普通」を願う

親は得てして子供に「普通」を願うもので御座います。

最近、子供の将来の夢ランキングに「YouTuber」がランクインするようになりましたが、多くの親は子供が「YouTuberになりたい!」と言ったら反対をすることでしょう。これは別にYouTuberが悪いという話では御座いません。問題なのは現状ではYouTuberという職業が邪道なのが問題なのです。

邪道というのは悪いという意味では御座いません。

邪道は王道ではないだけなのです。

そして「親」という生き物は、基本的に子供に普通であり、王道になることを願うもの。

何故ならば先ほど申し上げた通り、基本的に「王道」というのは強いのです。もちろん強いからと言って幸せになれるかと言えば別問題ですが、弱いよりは強い方が幸せになれる確率が高いのは間違いありません。

みんなが、多くの人が歩んでいる王道は、誰が歩いてもそこそこに歩ける道なのです。一方で「邪道」は基本的に獣道。確かにその獣道の先には財宝が待っているかも知れませんが、歩ききった末に何もない可能性の方がずっと高いのです。もちろん例え財宝に出会わなかったとしても、「獣道を切り開く」ということにこそ価値があるのは間違いありませんが、親はいつだって子供が獣道で野獣に襲われることが心配なもの。子供には整備された街道を歩いて欲しいと願うのです。

その傾向は特に母親、そして子供が娘であった場合には顕著でしょう。

邪道を歩くなら

残念ながら「親子ほど離れた夫婦」というのは、少なくとも今の日本では「邪道」で御座います。普通では御座いません。

「普通ではない」ということがイコールそのまま悪いというわけでは御座いませんが、もし仮にご質問者様を25歳、相手の男性を55歳とすれば、ご質問者様は「遺産目当ての女」と呼ばれるかも知れませんし、彼氏様は「いい歳して……」と社会から白い目で見られる可能性が極めて高いでしょう。

そういう意味ではお母様が結婚を認めないのも当然の話で御座います。お母様は自分の娘にそんな辛い道を歩んで欲しくないのです。

そんな社会が悪いんだ!と言うのは簡単ですが、変えるのは非常に困難でしょう。少なくとも私はそんな大仕事が出来る自信が御座いません。

そもそも人は異質なものを嫌うのです。それがダイバーシティ的に正しいかどうかなどどうでも良く、人は異質なものを嫌うのです。

「ダイバーシティが、多様性が大事だ!」と大声で叫ぶ方だって、そのほとんどは「ダイバーシティは受け入れられない」という異質のものを嫌っているだけなので根本的には何も変わりません。人は異質なものを嫌うのです。

何故、異質なものを嫌うのかと言えばこれは非常に簡単です。確かに異質なものの中には「役立つもの」「素晴らしいもの」もたくさん含まれていますが、それと同時に「死に至る毒」が含まれている可能性も間違いなく存在するから。非常に分かりやすい例が「病気」で御座います。

西洋人を歓迎してしまったインディアンらアメリカ大陸の先住民は銃弾よりも天然痘で死にました。旅人は知識と共に厄災を運んでくるのです。

ですので、その旅人が良い旅人か悪い旅人かを見極めることが重要なのは間違いありませんが、それを受け入れる段階で見極めることが出来るほど、人間は優秀では御座いません。それならば異質なものには全て「No」と言っていた方が確実に長生きが出来るという「知恵」を人類は身につけたのです。逆にその知恵を身に付けることが出来なかった民族は絶滅してしまったと言えるでしょう。

つまり異質なものをポンポン受け入れていた人間は弱かった。

異質なものを受け入れない人は生き残った。

つまり強かった、故に王道だった。

もちろん誰もが王道を歩けるのであれば良いのですが、王道を歩くことが出来ない逸れ者というのはいつの時代だって存在します。

そして逸れ者は得てして、王道を歩いても幸せになれないもの。王道を歩いて幸せになれなかったからこそ、邪道を歩くのです。

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